がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

鬼鈴『寄せ集めふるはうす』――掌編は四つ。宇宙は四つ

寄せ集めふるはうす』江月堂、2015を読んだ。同人誌である。

 

 

2013年から2014年までのコミティア発表作を一冊にまとめた本である。四冊が一冊になっているのでかなりのボリュームだ。面白かった作品を特に時系列順でないがピックアップしていく。

『猫も杓子も』

夜ふかししたらネコミミが出てくる世界で、女子高生が起きたらネコミミが生えていた。

 

ネコミミには種類がある。『振りネコミミ』『想われネコミミ』『想いネコミミ』などだ。この世界のネコミミは恋愛系だが、そうなると「告られて一度振ったがよく考えたら好きだったかもしれないネコミミ」や「同性になんか告白されて反射的に断ってしまったがドキドキが収まらないネコミミ」「幼い頃に結婚の約束をしたお姉さんと十年ぶりに再会したら人妻だったが頭には依然としてネコミミがあるし常にこちらを向く」も射程内に収まる。しかしそもそもそういうポケモンみたいな区別で良いのだろうか? 我々はネコミミだけでなくネコシッポやネコボイスも同様にまとめるべきでは?

 

ネコミミ概論』

 

ネコミミを研究する教授の話だ。ネコミミはどうやら古事記にも記されている。南米のインディオみたいな羽飾りもどうやらネコミミだったらしい。そうなると古今和歌集万葉集にも隠れネコミミが収録されていた可能性は否めないし、〈去年今年貫く棒の如きもの〉ネコミミ一句であったと否定できなくなる。おそらくファラオや万里の長城ネコミミの産物なので、これは正直ホモサピエンス全史はネコミミ全史と称しても過言でなくなる。これに対抗できる存在といえば……イヌミミだ。

 

『長閑な湖畔』

 

人魚が湖畔に佇む。

 

人魚と熊が対決する話がある。人魚が熊と戦ったが、石をメリケンのように掴み、人魚は熊を眉間ごと貫いた。かなりの肉体的な強さなので、人魚は古代の荒ぶる神々か侍の子孫であることが証明されている。

 

この場合に検証すべきは人魚と人間の戦闘ケースだ。水場では人魚に地の利がある。フルアーマーの騎士団が水場周囲を囲んだとしても、数人の人魚がメリケンを握ったら勝率はゼロに等しい。あるいは人魚がモリを担いで攻めの隊形になっても詰みだ。白兵戦では勝てない。

 

幸い人間にはダビデの時代から、飛び道具という裏ワザがある。水場から離れたところに拠点を構え、人魚の警戒エリア外から砲弾を放ち続ければ、湖ごと人魚を爆砕できるだろう。一日近く砲撃を続ければ地形が変わるに違いない。

 

問題は人魚による魔法報復である。あるいは湖に設置されたカウンター魔法陣でもある。対処法としては砲撃前に防御術者を用意しておくか、物理的に防ぐならば塹壕を掘ることだ。魔法用の銃眼から砲弾をぶっ放すのだ。最もスムーズに行くのは魔法範囲外からのエリア指定爆撃だ。

 

結論としては人魚には爆弾をぶつけるのが手っ取り早い。

 

『迷子でっていう。』

 

地図を見ても迷子になることがある。これはマジな話で、なぜかというとケータイを見ても「ケータイの方角」と「現実に自分が見ている方角」とがズレているからだ。目的地が有名なスーパーならば大通りを三十分ぐらい歩けばたどり着けるが、欲を出して住宅街をショートカットしようとすると、悲惨なことになる。

 

とにかく住宅街は狭くて曲がりくねっている。そのたびにケータイを取り出してあっちこっちに右往左往するのだが、姿は不審者なので、脱出しなければいけない。このシーンにおいて時間は味方にならない。もし夕方になれば、時間とともに景色が変わる。暗くなるので余計に道がわからなくなる。

 

ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』というゲームでは、主人公のリンクが三日間以内に世界を救えという無茶な指令を出されて、時間に追われながら冒険していた。あんな風に「あと何分……あと何分……」と反芻しながら歩いていくと、心に余裕がなくなってくる。そうなるとふとした拍子に道から外れているし、ケータイを取り出してもバッテリーが減っているので更に余裕が減る。最終的には訳がわからなくなり、交番で道を尋ねるかタクシーを呼ぶことになる。

 

こうした面倒を解決するにはどうすればいいか? 方向感覚を鍛えるのだ。感覚を鍛えるには? 近場で迷い、ピンチになり、五感を最大限まで研ぎ澄ますことだ。私はある日それを実践してマジで迷子になったことがあるし、あれから住宅地には一切入らないで大通りを歩くことにしている。効率は捨てた。

 

《終わり》

小津端うめ『春を待ちながら』――傷だらけの二人(復)

小津端うめ『春を待ちながら』千秋小梅うめしゃち支店、2018を読んだ。同人誌である。続き物で、三作目だ。

 

 

あらすじ:フリーターの良一は、診療所に勤めている友人の用事で、こるり市の診療所を訪れる。そこで事務をしている早苗と出会うが、彼女が、病院の分院長候補の内坂に暴力を振るわれる現場を目撃してしまった。早苗は無表情にされるがままだ。元来おとなしい性格の良一は内坂に強く言えず、消極的に割って入るしかできなかった。良一が良心の呵責に悩む中、早苗は自分の過去を語る……

 

『春を待ちながら』では何人もの登場人物がいる。そしてそれぞれの人物が群像劇を作り出す。何人もの人間関係を作り続けるのはかなりの労力がいる。56ページと話も長いので、なおさらだ。今回はメインの二人、良一と早苗にスポットを当てた。

 

良一と早苗は出会いからしてドラマチックだが、あまり彼には強い行動が取れない。良一はそもそも別件で病院を訪れているので、内坂によるハラスメントを目撃した、全くの外部者である。その場で警察に通報するなり、別な方法も取れたが、彼は気弱(優しいともいう)であるため、早苗をその場から連れ出すことしかできず、自己嫌悪に陥っている。それどころか、早苗が殴られたショックで嘔吐してしまい、それを見た良一はいっそう狼狽えてしまう。

 

しかし良一の中に、無抵抗に暴力を受け入れた早苗を見て芽生えるものがあった。早苗と連れ立って向かった先で別のいざこざに巻き込まれるが、彼は割って入って守ろうとする。「どうして口を挟んだの?」と無表情に尋ねる早苗に対して、顔を赤くして良一は口にする。

 

「目の前で起こることから守りたいと思うのは、おかしい?」

 

その言葉で早苗は目が覚める。客観的には消極的な向き合い方だろうが、それでも良一にとっては精一杯アグレッシブな行動だったのだ。戦い方は何通りもある。ただ敵を倒して断ずるだけが正義とは限らないのだ。

 

良一は消極的に振る舞う自分を「俺も弱い人間だけど、」とする。彼自身も、自分の至らなさは承知している。しかし、だからこそ、これまで虐げられてきた早苗にとっては、心に通じるものがある。さまざまなプロットが錯綜する話の中で、良一と早苗のシーンが土台になって作品を支える。静的に支え合う二人がいるからこそ、動的なクライマックスがより映える。面白い作品だった。

 

《終わり》

なかせよしみ『漫画の先生 ep6.』『ep7』 ――描いて戻って一回休み、ひっくりかえってまた進む(復)

なかせよしみ(まるちぷるCAFE)『漫画の先生 ep6.』(2017)と、『ep7.』(2018)を読んだ。どちらも同人誌である。

 

『漫画の先生 ep6.』

 

あらすじ:国際展示場で年4回開催されるイベント、コミトピア。バイトや学校で非常勤をしている漫画家の響美晴は、サークル側で出店した。売り側として手慣れた美晴は、順調に本を売る。このままいつも通りに終わってほしいものの、イレギュラーな事態が発生してしまい……

 

美晴の物語を体験できるだけでなく、実用的な漫画でもある。本の展示レイアウトから、本を買う時の釣り銭勘定(新刊のみ買う場合、あるいは既刊すべてを買う時のパターン)、どれだけ本を準備するか、そもそもどれだけ売れるのか? 作り手側の感情や、試行錯誤も体験できる。いわば美晴の目を通して即売会文化を知ることができる。

 

その一方でイレギュラーな事態は、本当にイレギュラーなので突然降ってくるし、美晴がフリーズするところも面白い。

 

即売会なのだから、売る人がいれば買う人もいる。買う人にはそれぞれ考えがあるし、売る人にも考えがある。店でないので雑談もできるが、その分突発的なことも起こりやすい。お金を出す分、買う人にも何かしら言いたいことは出てくるが、全体的に見て物申すことはどうなのか? 正しいのか? あるいは売る人をイラつかせているだけではないか? そもそも売る人もスペース料で運営に金を払うし、本や品物を作るのにも金を使う。まず作るだけで労力がかかっている。売る人買う人が参加者という立場なので、お客様は神様です論が通用しないのだ(あまり他で通用させているのも厄介だが)。

 

そういうことを考えてたらキリがなくなるが、買う側も売る側も参加者という括りでは同じだ。どこかで仮でいいので結論を出さないといけないし、状況が変わったらアップデートしないといけない。流動的である。

 

『漫画の先生 ep7.』

 

あらすじ:向河原が一日に使えるネーム(大雑把にコマ割りやセリフを考える作業。絵コンテに近い)の時間は十五分だ。朝起きて漫画のネームを作り、それから仕事に行く。仕事中に漫画の展開をイメージし、机仕事、社食、会議をしながらアイデアをふくらませる。帰ったら作業の続き。進み具合は六ページ。いっぽう美晴は、バイト以外はとにかくネーム、ネーム、ネーム! 進まない! 苦しい! やっと六ページできた!

 

向河原と美晴は正反対の生活を送っている。どちらも兼業作家だが、向河原は会社に通いながら規則正しく漫画を作る。美晴はバイトと学校(非常勤で教える)の合間に漫画を描く。美晴の生活は流動的だが、向河原は安定している。スタンスが真逆の二人だから、漫画の作り方も真逆なのである。それでも一本の漫画が出来上がるので、漫画はつくづく奥深い。

 

美晴は感覚として漫画を作る。なのであれこれ苦しみながら直感的に展開を作るのだが、向河原は最初にプロットを立てて展開を決める。これはどちらが優劣ではなく、個性の話でもある。向河原にもそれなりの苦しみがあるだろう。

 

美晴と向河原が偶然出会ってから、やはり漫画を描いているので漫画論の話になる。美晴は学校で漫画を教えているものの、向河原の話は新鮮だ。なにせ彼はスタンスが逆なので、漫画の土台も異なるのだ。だから美晴にも届くものがあり、美晴はうれしがる。

 

そして互いにスタンスが真逆ということは、SN極のように正反対の力を持ち、接近することもある。二人が急接近(のように見える)した後にどう展開するのか、楽しみだ。

 

《終わり》

江月堂『MONOCHLOG』――ラフから広がる、広げる世界 (復)

みちお(江月堂)『MONOCHLOG』、2018を読んだ。同人誌である。

 

www.melonbooks.co.jp

 

2013年から2018年までの絵を抜粋した画集だ。スケッチがメインで、三百枚くらい収録してある。スケッチは様々な絵があり、上半身のみ描いたものから、上半身や下半身をキッチリ描いたものまで収録してあるので、模写したい時にはピッタリかもしれない。

 

収録されている絵はモノクロだが、ツールはエンピツ絵からボールペンと多岐である。筆絵もある。サークルカットの下書きや年賀状ラフもあるので、隅々にまで手が届く。漫画の下書きもあるので、どういう雰囲気を紙面に載せたかったのかを想像することもできる。

 

一ページの中に2013年の絵や2015年の絵が混ざっているところも面白い。眉や目の造りが若干異なるところもあるので、「時間が経つとこんな風に入れ替わっていくんだな」と感じられる。ラフの集合体なので物語性はそこまでないが、物語を取り払ったために、かえって作者性を感じることができる。

 

ラフ絵を見ていて面白いのは、作者がどういう順序で筆を入れていったのかが、なんとなくわかるところである。また、どこまで筆を入れて、どこまでをサクッと描けば、人物を人物らしく作れるのかもなんとなくわかりそうになる。髪の毛はどこまで描くか? 服はどうする? 下半身はどのエリアまで作り込めばいいのか? ラフをどこまで作るべきか、どれほどたくさん描くべきかは、絵を描く人にとってかなり大きな課題だが、この画集はちょっとした助けになる……かもしれない。

 

あるいは作者の真似をして、大きな紙にラフを模写してみるのも楽しいだろう。技法のひとつにクロッキーがある。五分から二十分ほどの時間で区切り、サッと全体的に描いてしまう技法だ。時間は限られているので、それほど緻密には描かない。クロッキーには色んな目的があり、物の形を覚えるためにクロッキーしたり、あるいは線を引くための練習、もしくは単純な線だけで、いかに自分の個性を出すかを試すための訓練にもなる。

 

ここでは他人の絵の模写をすることで、「自分の筆がよく乗るところ」「逆に筆が乗りにくいところ」を知ることができる。逆説的に自分の個性について学べるのだ。

 

文末にはみちおさんのコメントが記されている。

 

『この5年は

 僕が江月堂として

 コミティアに出展するようになってからの5年間でもあります

 人間ひとりひとりに個性があるように

 ひとつひとつの絵にも個性があると

 それらは僕の想像の産物でもあり

 見てきたものの記録でもあります

 これからもたくさんのものを見て、感じて

 また絵を描くのでしょう』

 

 作者はおそらく多くのものを見てきた。これからも多くのものを見ていくのだろう。その一旦を垣間見られる画集だった。

 

《終わり》

渡辺浩弐『令和元年のゲーム・キッズ』――寿命制限時代の人間。それからゲーム (復)

渡辺浩弐『令和元年のゲーム・キッズ』星海社FICTIONS、2019を読んだ。

 

 

令和元年のゲーム・キッズ (星海社FICTIONS)

令和元年のゲーム・キッズ (星海社FICTIONS)

  • 作者:渡辺 浩弐
  • 発売日: 2019/07/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

いくつかの前提の上に成り立ったショートショートだ。前提は以下の通り。

 

・政府によって市民の寿命は五十歳に制限されている。五十歳になれば法定寿命を過ぎたとして、市民は処理施設に連れて行かれて安楽死させられる。

 

・反対に、五十歳になるまでは人権、生活保障が約束されている。

 

・時代設定は、ソシャゲー、ガチャ、スマートフォン、ドローンが存在する、いまから(たぶん)百年後ぐらいの世界である。

 

収められている作品は三十一作のショートショート。一作は6~8ページほどなので、読みやすい。読みやすい上で露悪的なほど残酷な作りになっている。

 

ポップなカバーとは裏腹に、恐ろしく簡単に人が死ぬ。『五十歳を過ぎたら安楽死』という条件の元で人々が苦しみ、あがく。エンディングの理不尽さはバッドエンドを思わすほどだ。人間、おかしくなろうと思えばどこまでもおかしくなる。

 

気に入った作品は『ふしょうの息子』、『完全なるアイドル』、『不完全なアイドル』、『人生ガチャ』、『自殺はやめよう』、『学校のヴァンパイア』、『自分ゲーム』だ。幾つか寸評を挙げてみたい。

 

 

『ふしょうの息子』

引きこもりの息子、部屋、そして母親……これだけしか出ていないのに、話の内容に強い説得力がある。おそらく息子の視野の狭さと傲慢さによってこの状況が成り立っているのだろう。読んでいて「うわっ……」と言ってしまうほど強い話で、最後が予測できても鳥肌が立つ。ここまで書き抜く作者の技術力がすごい。

 

『自殺はやめよう』

ドキュメンタリー形式である。自殺したい三人の男女がいるが、それぞれの辿った自殺方法や、生命をまさに物質そのままとして扱う様に、ある種の神聖さとも空虚さともつかないものがにじみ出てくる。設定をうまく使った例でもある。自殺はやめよう……

 

『自分ゲーム』

発想の勝利である。ヘッドマウントディスプレイ+ドローンというのは考えつかなかった。タイトルが『ゲーム・キッズ』なのでもちろんゲームに関連した出来事が起きるが、発展の仕方が面白い。フィクションの悪影響だ。

 

『誕生プレゼント』

とにかく前半と後半の落差がすごい。バーチャル設定の広げ方が面白いが、それだけでないパンチを食らわされてしまった。このまま現実世界には入ってこれないだろうが、いくつかを修正すればやがて実現するかもしれない。

 

『人生ガチャ』

五十歳まで生きられる社会の、五十歳で終わる人生の悲惨さがにじみ出る。医者と元野球選手の話だが、高校までは同じ道だった友人二人は、違う道を歩き始めてから、ずいぶん異なる人生を進むことになった。ここに詳らかになるのは、時間を強制的に区切った人生のいびつさと、それに応じきった人間の奥底だ。

 

他にもまだまだある。老人の終末を描いた『献体』、VRアイドルが活躍する『完全なるアイドル』、SNSの面倒臭さを消去してくれる『人間関係リセットスイッチ』もあり、どれも読んでいて面白かった。

 

また、全作品には頭書にQRコードが設置してある。コードを通してYoutubeから作品の執筆風景を見ることができる。私は『人生ガチャ』を見たが、作者が思いつきを基に執筆していくのを見るのはなかなか刺激的だった。本を持っていない方でも、Youtubeで『渡辺浩弐のノベライブ』と検索してくれれば観られるので、ネタバレにはちょっと注意しながら視聴してほしい。

 

 

ちなみにこの作品、前まではamazonで見たら絶版だったが、いま見たら在庫ありになっていた。こんなに時代を先取りしてるので、電子版を出してくれるのが楽しみ。DLC特典として、ボツネタが読めたり、後日談が追加される……とかだと、なおのこと嬉しい。

 

《終わり》 

平山夢明『ヤギより上、猿より下』――誰も追随できないユーモア、展開、エンディング (復)

平山夢明『ヤギより上、猿より下』文春文庫、2019を読んだ。

 

 

ヤギより上、猿より下 (文春文庫)

ヤギより上、猿より下 (文春文庫)

 

 

 

短編集だ。四作品が収録されており、初出は『オール讀物』である。「よくこんな作品を雑誌に収録できたな……」と思うほど凄まじい作品だらけで、一作品を読むのに何度も休憩する必要があった。以下にタイトル別に感想を載せたい。

主人公はタクムという小学生だ。家で父が母を殴る。タクムには妹がいる。アヤだ。タクムはアヤに幸せになってほしいと思っている。父は母をひどく蹴ったり殴ったりするが、子どもには手を出していない。

 

しかしある夜、虐待される母を見てタクムに火がついた。タクムは父の足にしがみついたのだ。弾みで父はタクムを蹴り飛ばした。ルールは破られた。タクムとアヤはじきに死ぬだろう。タクムの前に、外国人が現れる。アレキサンダル。ある条件と引き換えに、父を消してやるとタクムに告げる――

 

淡々と絵本調のように語られるが、内容は怖気を覚えるほどの虐待に関する数週間ほどの話だ。舞台は下町で、地味な町並みと不気味なほど戯画化された人間のつくりが、作品の不条理さを高めている。短編だが、気まずさと疲労感、終わりに訪れる一筋の光には、読む価値がある。

 

『婆と輪舞曲』――DANCE WITH GRANNY

婆――ババが「俺」を養っている。会社が倒産して無職になってしまった俺に、ババが仕事を持ちかけてきたのだ。金払いがいいので、俺は探偵の世界へ飛び込んだ。

 

ババの娘は行方不明になっている。が、三十年前の出来事だ。しかもババのいうことにはホラが多く、話にもつじつまが合わないので、調査は苦戦する。警察に睨まれ、周囲から白い目で見られる。しかしカネをもらっている以上、探偵業をこなさなければならない。

 

ハードボイルドとやるせないユーモア感覚がまぜこぜになった、トラッシュでありつつもタフな作品。「どうにもならないなあ」と日々をしのぎながらどうにかやっていくうちに、不意に日常に変化が訪れるような、あるいは単なる夕暮れが、時に非日常な美しさをもって見えてくる作品だ。

 

『陽気な蝿は二度、蛆を踏む』――CHEERFUL FLY RUN OVER MAGGOT TWICE

 

「俺」は殺し屋だ。あだ名はエンジン。普段は仕事を依頼され、標的がいる町へ向かって、殺害する。俺が他の殺し屋と違う点は、標的にできる限り接近し、時にコミュニケーションを取ってから殺す点だ。今回の標的は、煙草屋の主人だ。

 

ハードボイルドでスモーキー、あるいは度数が高い酒のような作品だ。乾いた筆致で陰惨な殺し屋生活が語られる。ところどころで挟まれるユーモアはかえって苦々しさを増幅させるが、ページをめくる手は止まらない。作品に通底する不条理さと切なさはここでも存在する。結末は胸を抉り、本から顔をあげた時、日常に戻ってこれたことにある意味ホッとさせられる。

 

『ヤギより上、猿より下』――GOAT< <APE(注:検閲されました)

 

不景気にあえぐ山の麓のお店、『フッカーズ・ネスト』があった。とにかく客が来ない。経営者はオバチャンとロハン、従業員はおかず、つめしぼ、せんべい汁、あふりか、ロハンなどがいる。経営難のネストのところに、一発逆転の手札として、ヤギの甘汁、オランウータンのポポロが運び込まれる…………

 

最初からひっくり返りそうになった。「なに」と「なんなの」と「どうなってるの」を連発してしまう、とにかく予想の斜め上が平気で起きるのだ。トラッシュなキャラクター、トラッシュな展開、それが堂々と繰り広げられるので、面白いを通して凄みが出てくる小説だ。一体なんなんだこれは! と叫びたくなるが、思った時点で作者の掌で踊らされている。

 

キャラクターも群を抜いてヤバい。どの人物も気の利いた造形だが、印象的なのはあふりかだ。彼女(五十路)の部屋はジャングルのように蔦が巡らされ、隅にはタイヤを天井から吊ったブランコがある。壁にはシュワルツェネッガーの映画『プレデター』のポスターがあり、好きなんですか? と訊いたら、俺はあれになる、という。なりたい人間は初めて見た。

 

最初のパンチが強すぎて読者は世界観に引きずり込まれるのだが、読むほどに面白くなる。ヤギとオランウータンがネストにやってくるが、彼らも働くのである。従業員として。ヤギもオランウータンも営業成績をあげていく。そして読者が『ヤギより上、猿より下』というタイトルの意味を知った時、本当の意味で戦慄するだろう……

 

しょうもない世界としょうもない人間、そして極限の展開が狂気的にエッジを利かせながら進む。いずれ作品は終わるが、その時読者は、自分が作品の中に浸っていたことに、そして日常に戻ったことに安心したり、脱力したり、やや勿体なく感じるだろう。ケレン味が強すぎてとても万人には勧められないが、ハマる人はとことんハマる。凄まじい本だった。

 

《終わり》

逆噴射小説大賞2019、ピットイン(復)

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photo by José Pablo Domínguez on Unsplash

 

遅くなりましたが、逆噴射小説大賞に投稿された皆さま、お疲れ様でした! 一次選考・二次選考も完了となりました。私はマガジンを拝見しながら「うわああ、さ、作品が……あああああ……」とかなっていましたが、選考されたダイハードテイルズ局員の皆さま、そして投稿のきっかけを与えてくださった逆噴射総一朗先生に感謝したいと思います。

 

ひとまず全五作それぞれの出だしを投稿できましたので、以下にライナーノーツをまとめました。リンクも貼りますので、よろしければご来訪ください。文末には未来に向かうために我々ができることを書きました。

『オペレイション・メンシュ』

 

 

タイトル邦訳《人類作戦》です。メンシュって男性詞じゃん! 上司何考えてるの!? という突っ込みもありますが、ブラコウスキだけでなく、上層部の意思が働いたのです。

 

作品中で大暴れしている日本製ロボットですが、最初のボツ案では《ヒキャク》という名前でした。嘘だろ、介助ロボットなのに急いで運ぶのかよ……!

 

作戦テントではミヒターの他に特殊部隊員が同席していますし、今後の作戦でも参加していきますが、容量の関係で彼女らは泣く泣く削りました。続きからどんどん出していきたいです。

 

また、「この部分は掘り下げがいがありそうだ」と思ったのは《第一次世界大戦と地続き》というくだりです。作品の時期は現代ですが、あえてマシンに逆行した戦い方は何があるのか……そもそも人間らしい戦いとは……《パペタリー》は何をたくらんでいるのか……など、盛り込めそうな部分も満載です。

 

この作品を書いていてドイツを研究したくなったのか、フェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』とマックス・アンナスの『ベルリンで追われる男』を買ってきました。どちらもドイツが舞台ですし、面白そうです!

 

ノンフィクションではロナルド・レングの『うつ病とサッカー』も買いましたが、これはうつ病選手の闘病記録であり、精神的な打撃も大きいので、後で読もうかと思います……

『ドラゴンリトルシガー1カートン3ミリ』

 

タイトルはピースリトルシガーより頂きました。1カートンってけっこうかさばるけど、持ち運び大丈夫……?

 

「そういえば異世界転生って考えたことないな」と思って書いた本作ですが、よく見たら転生してないし、単にワープしただけでは?

 

しかしタバコには化学的にニコチンが含まれているし、タバコ一本吸うだけで五行ぐらいは行数を稼げるので、広げ方も工夫できそうです。あと、異世界で現代のタバコを売り始めたらすごく流行るんじゃないかな……!(武器商人の思考)

 

またこの作品、タバコとライターで主人公はワープしていますが、これは彼に限らず、道具さえ揃えば別な人でもワープできるのでは? 例えばドラゴンっぽい女の人が吸ったとしても現代地球に移動できるのでは?

 

『トライアリズム・ウォーマシン』

 

邦訳タイトル《三人の女が乗り物で戦う》です。友情、そして嫉妬や憎悪は、道具を与えられるとすさまじく燃え上がる!

 

若干設定が先行しすぎていたかな、というきらいもあります。800字数制限に何度も引っかかったのでかなり削りましたが、それでも戦争エキシビションハンヴィー、あと三人の女を描いたらいっぱいいっぱいでした。でも、800字で三人も出せるのはすごくないですか?(自画自賛

 

どう見ても敵対勢力が殴り込んできたのに、主人公グループでも内紛です。映画みたいな内容なので、どんどん膨らみますよ……!

 

ちなみに澪が選んだのは戦闘機です。ミサイル一発食らったらハンヴィーが吹っ飛びます! たぶんハンヴィーの所属部隊も全滅してます。ピンチ!

『サン・フォア・ザ・サン

 

タイトル邦訳《彼のための太陽》。

 

こちらもロボットが出てきますが、キーワードとなるのは《基盤》です。この世界、基盤が大事なコアで、CPUやハードディスクの上位に位置します。新しいシリーズを宣伝する際、販促としてコアの写真も街頭ディスプレイに載せないといけないほどです。

 

自分の中だと描写するまでもなくセコンドは金髪です(あとで描写します)。黒でも赤でもなく金。ボツ案だと日本人セコンドの予定でしたが、やはりロボットマッチなら出すのは金髪です!

 

ロボットに血液はなく、死の概念もありません。後天的に学ぶことはありますが、その場合も即死や脳死を体系的に学んで、論理的に使う場合が多いです。そんなロボット、自分の基盤を入れ替えるという、さながら心臓移植めいた意識を持った理由は? エルガー博士を襲った悲劇とは? ロボットマッチはどう繰り広げられるのか? ルール通りに戦う奴なんているのか? 奥行きを作るのが楽しみです。

『芸能殺手! アラタメさん』

 

タイトル邦訳《ターゲット殺害しなきゃいけないから化粧するしチャームもするけど、踊るのってめっちゃ恥ずかしいから見たやつは全員生きて返さない》。

 

どの作品も800字に圧縮するのが大変でしたが、この作品が群を抜いて大変だった記憶です。たぶん、設定を入れすぎたんだと思うの……

 

前回の大賞でも『安倍晴明オニと出会う』のような時代小説(えるふが出ます)を出していたので、「そうだ! 純日本人を主人公にしよう! 純なんだから刀とか開祖2000年とかそういう奴にしよう!」と考えました。芸能方面については、現代アイドルよりも歌舞伎の女形をイメージしながら伸ばしていきたいです。

 

作品では描写されていないのですが、ガガGはガガジーと呼びますし、ガガGはサングラスが似合ういかつい巨漢のセクターサード出身で……といろいろ考えていたら完全に字数オーバーでした。主人公の外見も作りたかった……

 

芸能活動でも剣術アイドル……芸能界の光と闇……カワイイ男の子……とかで作り甲斐がありますが、まず主人公の本名を出さないといけませんね!

『牙虎の里』

 

タイトル邦訳《いちおうお前についていくが期待値がゼロになった時点でお前はキルされる》

 

投稿作品は五作まででしたが、完成したのは六作でした。ですのでこちらの作品は泣く泣く外し、どうせなので描写を膨らませながら作りました。

 

以前から平山夢明先生の『無垢の祈り』のように、《人類の常識をことごとく破壊してゆく超越者》という概念に憧れがあったので、今作ではサーベルタイガーとして出てきて頂きました。最初の案では研究員も生存する予定だったのですが、展開の都合上、泣く泣く彼には死んで頂きました……

 

現在、主人公の少年がいる施設は奥多摩にほど近い地下施設です。ベヘモスの故郷としては南米を設定しましたが、そこまでおおよそ三万キロあります。トラベル系としても作っていけますし、主人公の父親は本気で追いかけます。リアル・ネイチャー(本作品はフィクションです)も各地に分散していますので、見どころは多そうです。

 

終わりに・未来へ向かうために

 

投稿作品の五作、プラスして一作品をこれまで再確認しました。現時点で審査を通過したのは三作ですし、思うところもありますが、書く側の人間としては、選考結果が出るまで手をこまねいている以外にできることがあります……そう、書くことです。

 

我々は審査で選ばれた作品の続きはもちろん、特に選ばれなかった作品でも、続きを書いて展開を盛り上げ、キャラを立たせ、クライマックスを作り出し、《完》と銘打ち、お祝いすることができます。

 

途中で「なんか疲れてきたな……」「この作品は人に見せられるほど面白いのか?」とかモヤモヤしてきたら、時間を置いて寝かせることで、新しく作品と向き合えます。最終的に面白くないだろうと判断した場合は、捨ててもいいです。ただ、その作品が自我に訴えてくるほど強い作品だった場合……ある日、ふと思い出してデスクの前に座るかもしれません。

 

もちろん一日は二十四時間で、書く人間にも生活があるので、アウトプットの時間は少ない。だからこそ、手持ちの弾丸を調節したり、休んだり、時にインプットに没頭して逃げながら、丁寧に書き続ける必要があります。

 

それに前回の小説大賞に参加されている場合、我々には前回作品の続きを書く仕事も残っています。

 

読むのは他人でもできますが、書いて完結させられるのは我々しかいません。そして完結した作品を改めてフリースペースに出すか、noteで有料販売するか、印刷して戸棚の奥に仕舞っておくか、思い切って作品賞に投稿してみるか……それも我々に与えられた自由です。

 

いま言えるのは、審査結果を見て喜んだり、ショックを受けることがあるかもしれませんが、あまり腐ることなく書いていきましょう、ということです。

 

もちろん、結果を見て一喜一憂することは人間として当たり前です。嬉しいものはそのまま受け取っていいですし、メランコリーになってもマガジンの他作品をチェックしていると、掘り出し物が見つかるかもしれない。感性に響く作家もいるかもしれません。あるいは、「こいつらに負けない」と奮起して書くこともできます。

 

しかし、何日もガッカリしたままモチベーションを下げているのはもったいないです。やけ酒をあおって映画を観ながら怒ったり、つらさのあまり本やゲーム機を捨てることも長い目で見れば良くないです。その時間を使ってできることはたくさんあるのですから(そんな私ですが、前回の二次選考発表時にはいくつか選ばれなかったので腐りましたし、大賞発表時にも選ばれなかったので、腐って数日ダラダラしてました)。

 

我々は審査される側においては特にできることはなく、たぶん2020年の1月までやれることはありません。しかし、それのみにフォーカスするのではなく、別のエリアを見るようにする――例えば書くとか学ぶ――と、どんどん選択肢は広がるのです。選ばれた人もそうですし、選ばれなかった人も、逆噴射先生が仰るように、何も失っていません。おそらく我々ができることは、自分自身が思っているより、遥かに多くあるはずです。ですから選考に通過した人は嬉しいテンションを維持したまま書いて欲しいし、通過しなかった人は別な面白さの芽を探して、気分を切り替えながら書いていって欲しいと強く思います。

 

《終わり》