がらくたマガジン

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マックス・ブルックス『WORLD WAR Z』――ゾンビ出現を経たパラレルドキュメンタリー (復)

 マックス・ブルックス(訳:浜野アキオ)『WORLD WAR Z』2013、文春文庫(上下)を読んだ。実際にはもっと前に読み終えていたのだが、やっと感想を書く気になれたというほうが正しい。

 

 

WORLD WAR Z 上 (文春文庫)

WORLD WAR Z 上 (文春文庫)

 

 

 一口でいうならゾンビと人間の戦争である。個人やグループ間の逃げる話でなく、人類がアジアやユーラシアの場所で戦いきってゾンビを絶滅させる話だ。つまり、ゾンビに勝った。

 

 他のゾンビ作品ではゾンビと人間の争いや人間同士の確執もあるが、他地域が具体的にどうなっていたかだったり、数十年単位で見ると人間はどう過ごしていったかについてあまり触れられていない。スティーヴン・キングもケータイを使ったらゾンビになる『セル』という小説を書いたが、あれも「モスクワやモスクは完全に荒廃しきった」ぐらいの描写しかなかった。しかも最終的にゾンビについては「雪が降れば寒くなるから凍るとかして減っていくだろう」しかないので、実質よくわからない。

 

が、この作品では全世界的な規模で話が展開するし、押し切られる寸前だった人類はどうにか持ち直して勝利する。恐るべきは作品内における文化解像度の高さである。日本だとアイヌ文化や被爆者の話が出てくるし、中国や韓国の実情もつまびらかになる。若干ロシアと日本などでテンプレ感が否めないところもあるが、クウェートだとシオニストパレスチナ自治政府の話を出しつつもゾンビに絡めて話を通すことに成功している。ゾンビと地域をきちんと取材した賜物だろう。

 

 下巻裏の紹介文を見てみよう。以下引用だ。説明すると、上巻までで人類はゾンビによって半死半生のところまでボコボコにされている。

死者の大軍を前にアメリカ軍は大敗北を喫し、インド=パキスタン国境は炎上、日本は狭い国土からの脱出を決めた。兵士、政治家、主婦、オタク、潜水艦乗り、スパイ……戦場と化した陸で、海で、人々はそれぞれに勇気を振り絞り、この危機に立ち向かう。「世界Z大戦」と呼ばれる人類史上最大の戦い。本書はその記録である。

 

WORLD WAR Z 下 (文春文庫)

WORLD WAR Z 下 (文春文庫)

 

 

 

 世界Z大戦。字面はバカバカしいが中身は本気である。この世界Z大戦はいちおう人間側の勝利に終わり、ゾンビの脅威も過去のものとなっている。そのため、文章の形式はインタビューだ。取材するためには数十人に話を聞かねばならず、当事者に話を聞いていくにつれ、人々が生き残るために起こした行動や所業がつまびらかになる。ドキュメンタリーの形をしながらゾンビ時代の前と終結までを描いていく。

 

 ホラー小説の特徴としてクローズアップされるのは失敗である。誰かがヘマをしたりミスをしたり、あるいは明白なサインを無視し続けた結果、悲惨な出来事が起こる……本書でもデカいミスがあり、大勢が死んだ。詐欺もあったし、無能の結果としての事故もあった。生き残った人々もたいていは死にかけた。最終的に人類が勝利したので限界のところで立ち直ったからだが、ミスの影響による悲惨な事件は胸を傷ませる。ヨンカーズの戦い……豪華なシェルターに立てこもる映像をインターネット配信し続けた芸能人たちの末路……城に立てこもったはいいものの、飢餓とインフルエンザの蔓延から絶望し、ゼットヘッド(ゾンビを指す――他にはグール、グンタイアリ、Gなど)の群れに飛び込んだ人々……良いドキュメンタリーは会話だけでシーンを呼び起こす。呼び起こし、視聴者に痛みを与える。

 

 しかし人類は生き残った。なぜなら死んでない人間が智慧をめぐらし、サバイバルしようともがいた結果のほうが、失敗の結果よりまさったからだ。ジャマイカにいる身内の安否も尋ねず、文明を支えようと働き続けたアメリカ大統領(この小説が書かれたのは2006年である)……生き残ったが、希望がない明日を不安に思い、眠るように死んでしまう人々を元気づけるために、映画を撮った映画監督……ウォール街で働いていたが、資源産業省に配属され、生者テリトリーのあちこちからエネルギーと人材をぶんどり、采配し続けたアーサー・シンクレア……彼らの努力はまさに氷山の一角だが、一部の英雄が他を活性化させ、どうにかしてゾンビ時代を乗り越えるのに成功したのは事実でもある。

 

 この作品はフィクションであるが歴史である。現代史だ。現代史にはさまざまな用語が登場する。例えばシンクレアがトップになった組織である資源産業省や、ゾンビ時代のゾンビ特効薬としてバカ売れしたファランクス(中身はインチキ薬だった)、ゾンビの脅威を初期段階から指摘し続けたヴァルムブルンレポート(官僚はだいたいそれを無視した)、レデカー・プラン……成功したプランもあれば失敗した戦争計画もある。兵士が使う用語もあるし、クイズリングという頭がおかしくなってゾンビに寝返ってしまった普通の人間もいる。精神医学用語もあるし、舞台が宇宙ステーションから深海に渡るので、専門用語もジャンジャン出てくる。

 

 読んでいて一番驚いたのは海のゾンビである。ゾンビは泳げないんだから海を渡れるはずがない。日本に来るはずもない。もし日本でパンデミックが起きたなら、離島や小笠原諸島にでも逃げればいいだろう……と思っていたのだが、簡単な抜け道があった。ライフジャケットを着た人間がゾンビ化するのだ。ほかにも、腹の腐敗ガスが浮き輪代わりになってプカプカ海を浮くことや、船の上でゾンビになり、突き落とされたら流されてきたゾンビもいる。しかもこの作品では、深海のゾンビは水圧でぺしゃんこにならない。理屈はわからないが深海だろうが歩いて渡るのである。島国安全論はこうして消え去った。無人島だろうが南極だろうがゾンビが上陸する可能性が出てくる。

 

 傭兵、被爆者、軍人、シンクレア、CIA長官……さまざまな当事者からの話を聞き、補注をしながらインタビューは続く。然り、全ては過去のものである。未だ地球上にゾンビの残りがいるとはいえ、ゾンビの時代は終わった。

 

 だが人間たちの間でゾンビ時代は終わっていない。さながら戦争の後遺症である。フィクション上で第三次世界大戦が起きたが、こうして全世界の心にゾンビはあらゆるものを残していった。ひとつの時代が終わったが、文明も半分ぐらい終わってしまったので、人類はそこから建て直さなければならない。人が現実に問題を抱えるように、ゾンビの問題を抱えたまま、また前進しなければならない。あるいは回想録や歴史書が出版されながら、もしかしたらゾンビも過去のマイルストーンの一部になっていくかもしれない。なぜなら人類はゾンビに勝ち、おおむね人類は生き残り、生存者たちの話は続いていくからだ。

 

《終わり》