がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

逆噴射ワークショップに参加しようか悩んでいる方へ(20210222)(復)

※この記事は、「うおお俺はやるぜ逆噴射から原稿料二万円を頂戴するぞ」とかこれからPROになってバリバリ稼ぐパワーとやる気に満ちあふれている人にはたぶん必要ありません※

 

 

 まずはこちらから。2月末より開始される小説ワークショップの案内記事です。

 

 ダイハードテイルズさんが主催するイベントで、去年の『逆噴射小説大賞』に続き、よりいっそうメキシコの荒野に生きる創作者をプラクティスに集中させるもので、とてもいい試みだと思います。私も参加する予定です。

 

 そしてこうした大規模な試みに挑戦しようという時、最初に思い浮かぶのが「酷評されたらどうしよう?」です。

 

 小説を人に見せるのは恐ろしいことです。よいフィードバックもありますが、たいていはダメ出し、あるいは直しようのないフィードバックです。歴史小説を書けば「ドリトス成分の描写が足りない」で、デスゲームを書けば「これはリアリティゼロなので作者のあなたも自動的にあほです」、家族小説を書いたら「お母さんと祖母のセリフに本人感がないのでEND OF MEXICO……お前は荒野に死骸をさらす」……

 

 それにいまのご時世はインターネッツでは幾らでも小説投稿サイトがあります。一人で作品をアップロードできますしY2Kとか変な議論をふっかけられたら逃げることもできます。もしあなたが覚悟を決めたPRO志望なら、ASAPで作品を書き上げて新人賞に送りまくっていれば結果が出ますが、たいていの人はアマチュアであり、「なんで小説なんて書いてるんだろうなあ?」という疑問が心にあるので、疑問と向き合うために逃げる余地を残しておくことが大事です。

 

 しかし、なぜわざわざ叩かれる可能性のある逆噴射ワークショップにコンテンツを出すのか?

 

 私のいまのところの答えは「人に自分の自我を見てもらおう。インタラクティブに読者に返事をもらって、とにかくコミュニケートしてみよう。ついでに至らない点を指摘してもらって小説をうまくなろう」です。

 

か弱い自我と和解せよ

 

 小説にはどうしようもなく自分が出ます。自分が知っていることからまるで無知なこと。大切にしているもの、ゴミにしか見えない価値観。社会や業界をどれほど知っているか、自分は何を恐れていて何を求めているのか。何ができて何ができないのかがすぐに出ます。無意識の中にある考えが、小説だと一行目から飛び出すことがあります。

 

 書き上げた作品が駄作でよいフィードバックはもらえないとわかっていても、小説は自我なので、実際に作品が「バカ!」「あほ!」「ブッダミット!」とかいわれたら傷つきます。投稿してもスルー(こっちが圧倒的に多いです)されるとないがしろにされた気分になるのです。

 

 まずはそういう傷つきやすい自分がいると認めるところから始めましょう。小説を書くのは体力的にも精神的にもしんどい作業です。手遊びの積りで始めたのに、ヒーヒーいいながら書き終えることもしばしばです。そんな体力を使う作業なんですから、完成品に愛着が湧いて飾りたくなったり、けなされればイラついて相手を平手打ちしたくなります。作品に対する感情と、作品の周りにある感情をできるだけ見つめて、認識しましょう。書いたけどどうしても見せたくないなら、物置にしまっても大丈夫です。スティーヴンキングも書いたけど片付けて人に見せてない作品があります。書いただけで価値があるのです。

 

 ただ、基本的に小説は人に見せないことには始まりません。やはり小説は書いて読まれることでサイクルが成立します。TENETでも主人公は最終決戦に挑みましたし、SEKIROでも片腕を斬られた狼はリベンジするために芦名の国へ戻りました。

 

読者とコミュニケートする

 

 完結させれば人に見せられる作品になります。作品にするためにストーリーを仕立てる必要がありますが、どうしても自分の悩み、苦しみ、虚無感は文章に入ります。なので人に見せることには自我を見せる恐れがつきまといます。酷評されたりヒリついた評価に自負心が脅かされるかもしれませんが、「この悩みは共感できた」「キャラクターがイキイキしていてずっと一緒にいたいと思った」と予想外のコミュニケーションができる可能性もあります。

 

 まさに人との議論のように、働きかけるからこそやってくるものがあります。作品を読者に向かって投げ込めば、返事が来るかもしれません。スルーされるかもしれないし、おかしな議論に巻き込まれるかもしれない(この作品はあんこくメガコーポ問題やバターコーヒー問題に切り込んだんですか!?)。しかし、見当違いの理解も、奇妙な共感も、意味のわからない誤読も、それは自身に送られた手紙で、自分への返答で、内容はともかくコミュニケーションです。後年振り返って「あんなことも言われたな」としみじみ思い出せることを、あなたは小説で作ろうとしているのです。

 

 私はたぶん、そういうコミュニケーションを取るために、コンペや小説賞、ワークショップに応募しています。講評には理解できないポイントがあるでしょうし、何度思い返しても意味不明で終わるところもあるでしょう。スルーされるかダメ出しで終了することもありえます。

 

 けれども……

 

 自分が作った(あるいは作っている)作品の冒頭数千字~1万字には、人を唸らせる力があるかもしれない。ギャラリーに噂される何かがあるかもしれない。噂はギャラリーに影響を与えるかもしれない。ギャラリーのギャラリーへも繋がり、大きく捉えすぎですが、宇宙の天秤に影響を与えるかもしれない。単純に、あなたが作品を出してくれれば戦士が出揃うことになり、ワークショップはそれだけ盛り上がります。

 

 だからまずは、文章の中に埋め込まれている、己のか弱い自我を認めて、「まあこんなものだな」と見てあげることです。「酷評されたら嫌だな」とか、「つまらんとGUNで撃たれたらどうしよう」と悩んでいる自分にも気づくことです。私も悩んでいます。その上で、やはり作品を送って欲しい。結果的に悲惨な評価をされたとしても、たとえ認められなくても、外に働きかけることは、あなたの人生を悪い方向へは導かない。そして現実は、予期しているより遥かに良いことが起きる可能性もあるのです。

 

一人レベリング楽しい

 

 上ではいろいろ書いた私ですが、人にああだこうだいわれて嬉しいタイプでなく、作品を作り終えて「前作よりストーリーがキマってたな」「このキャラクターは思ったよりうまく作れたのでフィギュアとして売り出してもいいな」と、一人でレベリングして喜ぶタイプでもあります。今回のワークショップではパルプ小説のPROがたぶん的確なアドバイスをしてくれるので、それに則ってレベリングして、文章のレベルをメキメキ上げることで、自分の喜びに繋げたいです。

 

 投稿お待ちしています。

 

《終わり》

逆噴射ワークショップ開催決定(20210217)(復)

「逆噴射小説ワークショップ」が開催されます。よい試みだと思いますし、私も参加したいです。

 詳細はダイハードテイルズさんのこちらの記事よりどうぞ。

 

diehardtales.com

この賞も過去の『逆噴射小説大賞』と同じく、自作小説の冒頭数千~1万文字を投稿する形式です。冒頭を提出すると、それを局員や逆噴射先生が精読し、運がいいとアドバイスがもらえます。

 

締め切りは2月末~3月末です。また後でワークショップ関連の記事を書きたいです(出そうかどうか迷っている人へ。出したほうが楽しいよ! という記事)

《終わり》

逆噴射小説大賞ピックアップ・セカンダリ(20210201・復)

 

 怒涛の秋が終わり、怒涛の冬がきました。年も明けました。逆噴射小説大賞2020も優勝者が出たことで完結し、拙作が最終選考に残ったのは嬉しい限りです(コメントを頂けたので鋭意続きを書きますし、別なこともしたい)。

 秋→冬ということで、なんか逆噴射の季節が秋っぽいので逆噴射2021も考える必要があるな……と思いましたが、ピックアップします。ちなみに皆さん小説大賞の続きは書いていますか? 私は壁にぶつかってエウレカが来ないので悶絶しています。ピックアップしましょう。

 

《動画と暴力の親和性》

サガタアマネ 【ミシンとハッチ】フルボッコ中継するよ!【初!生配信】

 今回の大賞ではチューバー系の作品がチラホラ観測されましたが、この作品も動画配信者をメインに据えた小説です。主人公はコンビを組んでいるミシンとハッチで、式神の能力を片手に、暴徒をボコボコにしていきます。暴徒が現代科学なので、魔術は秘められた力であり秘密裏なものかもしれない……あるいは軍隊だと普通にやっているのかもしれない……その辺りは未知数です。設定がどう形になっているのか気になるところですが、暴力を娯楽番組として堂々と出していくスタイルが面白かったです。

 

 

《カッパと小狐と人間》

丘機関銃 カッパのハロウィン

 カッパがハロウィンに行くお話です。一読した時は「まあこんなものかな……」と思っていたのですが、時間を置くとまた読みたくなるから不思議です。登場人物はカッパ、コガモ、狐、お母さん、人間の子供で、絵本のような親しみやすい絵柄で動きます。しかし続きがどうなるのかまるで予測がつきません。

 ハロウィンの夜には何かが起きるのか? それとも起きないでカッパはハロウィンを楽しむのか? 人間とカッパが出会うと何が起きるのか? それとも第三者とか第三勢力が来てすごいことになるのか? 読まないうちから読者にあれこれ好奇心を持たせる作品はそう多くなく、この作品は少ないうちのひとつだと思いました。続き! 続き書いてください!

 

 

《役割分担》

ゴドー ロールandロール

 デスゲーム参加者による熾烈な頭脳戦です。デスゲームだと偶発的に主人公が放り込まれるケースが多いですが、見た所このゲームには望んで参加したようです。生き残れば巨額のマネーがもらえます。主人公からはゲームを突破して金持ちになってやるというパワーを感じるところが良かったです。

 役柄の設定も面白く、役割と実際の姿が異なる『ボイン』はこれからどう振る舞っていくのかが期待されます。ラストの転調はグッとオチをつけるので読者を引き寄せるつくりになっていますが、むしろオチがつきすぎていて今回の大賞では不利に働いたのかもしれません。というか役割交代の仕方、雑じゃないか……!?

 

 

《文字錬金》

ポテトマト 世界➡一凵乚口十介

 アクションと設定づくりがとにかく強い。よくここまで分解して書けたな……と思いました。設定が緻密すぎて長さに関わらずこれを完結させるのは大変難しいように思えますが、逆に完結させられたとしたら、作者の実力は相当なものであるということが逆説的に証明されます。

『』という人物や「」という本が登場するなど、かなりアナーキーな作品です。設定としてはどうやら漢字圏を舞台にしていますが、アルファベット、ハングルなどの別言語が入ってきた場合、ルールとしてどう対応していくのか気になります。導入における世界観突破ができていると思うので、作品の展開に合わせて徐々に明らかにしていってほしいです。

 

 

《現代に出現したイデア

里場 レデカトロモーフ神話構築考

 現代のインタビューから古代、ファンタジーのキャラクターに入っていく構造がスムーズで良いと思いました。インタビューの後にキャラが出揃うのでここからどう発展させるかが腕の見せ所だと思います。

 そもそもこのレデカトロモーフ、話に出てくるだけで、人間タイプか概念タイプかの生物であることも提示されていないので、作り込む自由度はかなり高いと思います。主人公って吸血鬼なのかしら?

 

 

《ストーリームーバー》

グエン さそりの星火は燎原の炎となりて

「心配ないわ。東京なんて、どの世界にもあるのよ」のセリフが名台詞だと思います。読み返してみると一人の作家の宇宙が表現されているのですが、その宇宙から独立している女性(たぶん主人公)をどう掘り下げるかが気になりました。物語に沿わない形で人物を作るのはかなり新しい試みであり、成功すればかなり新機軸だと思います。また宇宙に沿って作られたキャラクターは、その宇宙を出た場合どうやって存在していくのかも気になります。

 首都は確かにどこにでもあるものであり、それならばアメリカ、フランス、中国のような物語大国でも、これは当てはまる……としみじみ思いました。

 

 

《スペースレガシー》

魚田かろうじて 浜野谷権十郎の遺産

 舞台は遺産相続……と単純に思っていたら、父が宇宙とつながっていたので、必然的に宇宙を股にかけて戦うことになる主人公の話。どちらかというと、息子よりも父親のキャラ性が前面に押し出されているため、「父親はどういう奴なんだ?」「どうやってこんなにつながったんだ?」「彼の死因は?」と好奇心が呼び起こされます。

 また、これからの登場人物には異母兄弟……宇宙人の兄貴とか妹とか、あるいは宇宙人母も登場すると思われますし、そことの絡み具合がどうなるかも気になります。しかしこれだけ父親の存在感が強いと、回想でもバンバン出てきそうです……

 

 

番外編:いま読んでいる本

 最近は「紙媒体で売ってる漫画雑誌コンプリートするか」と考え始めて、コミック百合姫ヤングマガジンサード、楽園、ちゃお……そういった雑誌をコツコツ買っています。紙媒体のほうがフセンを貼れますね(本棚がいっぱいになったら電子に切り替えます)。

 あと雑誌の良い点としては、映画館の如き誌面のデカさ、そして雑誌収録の別な作品も読める(というより、金を出して買った分元を取りたいので全作品読む)ことにも気づきました。実際にいままでノーマークだった新しい作品にも出会っています。「ストーリーを知らないといきなり最新号だけ読んでも不便では?」と雑誌を買う前まで思っていましたが、真に面白い漫画は筋がわからなくてもとにかく面白い。伏線とか前後が理解できなくても惹きつける魅力があります。

 創作関係だと中島梓『小説道場』を読んでいます。もともとDHTLSラジオで紹介されていたので購入したところ、投稿者にガッと感情移入ができたので面白く読んでいます。いまは二巻まで読みましたが、四巻完結なので半分ほど読みました。全巻購入したので、終わりのほうをチラッと見て、「どんな連載もいずれ終わるのだな……」とも感じました。全巻読み終えたら積んである『無数の銃弾』とか『氷と炎の歌』とか読みたいと思います。

 

《終わり》

鬼鈴『寄せ集めふるはうす』――掌編は四つ。宇宙は四つ

寄せ集めふるはうす』江月堂、2015を読んだ。同人誌である。

 

 

2013年から2014年までのコミティア発表作を一冊にまとめた本である。四冊が一冊になっているのでかなりのボリュームだ。面白かった作品を特に時系列順でないがピックアップしていく。

『猫も杓子も』

夜ふかししたらネコミミが出てくる世界で、女子高生が起きたらネコミミが生えていた。

 

ネコミミには種類がある。『振りネコミミ』『想われネコミミ』『想いネコミミ』などだ。この世界のネコミミは恋愛系だが、そうなると「告られて一度振ったがよく考えたら好きだったかもしれないネコミミ」や「同性になんか告白されて反射的に断ってしまったがドキドキが収まらないネコミミ」「幼い頃に結婚の約束をしたお姉さんと十年ぶりに再会したら人妻だったが頭には依然としてネコミミがあるし常にこちらを向く」も射程内に収まる。しかしそもそもそういうポケモンみたいな区別で良いのだろうか? 我々はネコミミだけでなくネコシッポやネコボイスも同様にまとめるべきでは?

 

ネコミミ概論』

 

ネコミミを研究する教授の話だ。ネコミミはどうやら古事記にも記されている。南米のインディオみたいな羽飾りもどうやらネコミミだったらしい。そうなると古今和歌集万葉集にも隠れネコミミが収録されていた可能性は否めないし、〈去年今年貫く棒の如きもの〉ネコミミ一句であったと否定できなくなる。おそらくファラオや万里の長城ネコミミの産物なので、これは正直ホモサピエンス全史はネコミミ全史と称しても過言でなくなる。これに対抗できる存在といえば……イヌミミだ。

 

『長閑な湖畔』

 

人魚が湖畔に佇む。

 

人魚と熊が対決する話がある。人魚が熊と戦ったが、石をメリケンのように掴み、人魚は熊を眉間ごと貫いた。かなりの肉体的な強さなので、人魚は古代の荒ぶる神々か侍の子孫であることが証明されている。

 

この場合に検証すべきは人魚と人間の戦闘ケースだ。水場では人魚に地の利がある。フルアーマーの騎士団が水場周囲を囲んだとしても、数人の人魚がメリケンを握ったら勝率はゼロに等しい。あるいは人魚がモリを担いで攻めの隊形になっても詰みだ。白兵戦では勝てない。

 

幸い人間にはダビデの時代から、飛び道具という裏ワザがある。水場から離れたところに拠点を構え、人魚の警戒エリア外から砲弾を放ち続ければ、湖ごと人魚を爆砕できるだろう。一日近く砲撃を続ければ地形が変わるに違いない。

 

問題は人魚による魔法報復である。あるいは湖に設置されたカウンター魔法陣でもある。対処法としては砲撃前に防御術者を用意しておくか、物理的に防ぐならば塹壕を掘ることだ。魔法用の銃眼から砲弾をぶっ放すのだ。最もスムーズに行くのは魔法範囲外からのエリア指定爆撃だ。

 

結論としては人魚には爆弾をぶつけるのが手っ取り早い。

 

『迷子でっていう。』

 

地図を見ても迷子になることがある。これはマジな話で、なぜかというとケータイを見ても「ケータイの方角」と「現実に自分が見ている方角」とがズレているからだ。目的地が有名なスーパーならば大通りを三十分ぐらい歩けばたどり着けるが、欲を出して住宅街をショートカットしようとすると、悲惨なことになる。

 

とにかく住宅街は狭くて曲がりくねっている。そのたびにケータイを取り出してあっちこっちに右往左往するのだが、姿は不審者なので、脱出しなければいけない。このシーンにおいて時間は味方にならない。もし夕方になれば、時間とともに景色が変わる。暗くなるので余計に道がわからなくなる。

 

ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』というゲームでは、主人公のリンクが三日間以内に世界を救えという無茶な指令を出されて、時間に追われながら冒険していた。あんな風に「あと何分……あと何分……」と反芻しながら歩いていくと、心に余裕がなくなってくる。そうなるとふとした拍子に道から外れているし、ケータイを取り出してもバッテリーが減っているので更に余裕が減る。最終的には訳がわからなくなり、交番で道を尋ねるかタクシーを呼ぶことになる。

 

こうした面倒を解決するにはどうすればいいか? 方向感覚を鍛えるのだ。感覚を鍛えるには? 近場で迷い、ピンチになり、五感を最大限まで研ぎ澄ますことだ。私はある日それを実践してマジで迷子になったことがあるし、あれから住宅地には一切入らないで大通りを歩くことにしている。効率は捨てた。

 

《終わり》

小津端うめ『春を待ちながら』――傷だらけの二人(復)

小津端うめ『春を待ちながら』千秋小梅うめしゃち支店、2018を読んだ。同人誌である。続き物で、三作目だ。

 

 

あらすじ:フリーターの良一は、診療所に勤めている友人の用事で、こるり市の診療所を訪れる。そこで事務をしている早苗と出会うが、彼女が、病院の分院長候補の内坂に暴力を振るわれる現場を目撃してしまった。早苗は無表情にされるがままだ。元来おとなしい性格の良一は内坂に強く言えず、消極的に割って入るしかできなかった。良一が良心の呵責に悩む中、早苗は自分の過去を語る……

 

『春を待ちながら』では何人もの登場人物がいる。そしてそれぞれの人物が群像劇を作り出す。何人もの人間関係を作り続けるのはかなりの労力がいる。56ページと話も長いので、なおさらだ。今回はメインの二人、良一と早苗にスポットを当てた。

 

良一と早苗は出会いからしてドラマチックだが、あまり彼には強い行動が取れない。良一はそもそも別件で病院を訪れているので、内坂によるハラスメントを目撃した、全くの外部者である。その場で警察に通報するなり、別な方法も取れたが、彼は気弱(優しいともいう)であるため、早苗をその場から連れ出すことしかできず、自己嫌悪に陥っている。それどころか、早苗が殴られたショックで嘔吐してしまい、それを見た良一はいっそう狼狽えてしまう。

 

しかし良一の中に、無抵抗に暴力を受け入れた早苗を見て芽生えるものがあった。早苗と連れ立って向かった先で別のいざこざに巻き込まれるが、彼は割って入って守ろうとする。「どうして口を挟んだの?」と無表情に尋ねる早苗に対して、顔を赤くして良一は口にする。

 

「目の前で起こることから守りたいと思うのは、おかしい?」

 

その言葉で早苗は目が覚める。客観的には消極的な向き合い方だろうが、それでも良一にとっては精一杯アグレッシブな行動だったのだ。戦い方は何通りもある。ただ敵を倒して断ずるだけが正義とは限らないのだ。

 

良一は消極的に振る舞う自分を「俺も弱い人間だけど、」とする。彼自身も、自分の至らなさは承知している。しかし、だからこそ、これまで虐げられてきた早苗にとっては、心に通じるものがある。さまざまなプロットが錯綜する話の中で、良一と早苗のシーンが土台になって作品を支える。静的に支え合う二人がいるからこそ、動的なクライマックスがより映える。面白い作品だった。

 

《終わり》

なかせよしみ『漫画の先生 ep6.』『ep7』 ――描いて戻って一回休み、ひっくりかえってまた進む(復)

なかせよしみ(まるちぷるCAFE)『漫画の先生 ep6.』(2017)と、『ep7.』(2018)を読んだ。どちらも同人誌である。

 

『漫画の先生 ep6.』

 

あらすじ:国際展示場で年4回開催されるイベント、コミトピア。バイトや学校で非常勤をしている漫画家の響美晴は、サークル側で出店した。売り側として手慣れた美晴は、順調に本を売る。このままいつも通りに終わってほしいものの、イレギュラーな事態が発生してしまい……

 

美晴の物語を体験できるだけでなく、実用的な漫画でもある。本の展示レイアウトから、本を買う時の釣り銭勘定(新刊のみ買う場合、あるいは既刊すべてを買う時のパターン)、どれだけ本を準備するか、そもそもどれだけ売れるのか? 作り手側の感情や、試行錯誤も体験できる。いわば美晴の目を通して即売会文化を知ることができる。

 

その一方でイレギュラーな事態は、本当にイレギュラーなので突然降ってくるし、美晴がフリーズするところも面白い。

 

即売会なのだから、売る人がいれば買う人もいる。買う人にはそれぞれ考えがあるし、売る人にも考えがある。店でないので雑談もできるが、その分突発的なことも起こりやすい。お金を出す分、買う人にも何かしら言いたいことは出てくるが、全体的に見て物申すことはどうなのか? 正しいのか? あるいは売る人をイラつかせているだけではないか? そもそも売る人もスペース料で運営に金を払うし、本や品物を作るのにも金を使う。まず作るだけで労力がかかっている。売る人買う人が参加者という立場なので、お客様は神様です論が通用しないのだ(あまり他で通用させているのも厄介だが)。

 

そういうことを考えてたらキリがなくなるが、買う側も売る側も参加者という括りでは同じだ。どこかで仮でいいので結論を出さないといけないし、状況が変わったらアップデートしないといけない。流動的である。

 

『漫画の先生 ep7.』

 

あらすじ:向河原が一日に使えるネーム(大雑把にコマ割りやセリフを考える作業。絵コンテに近い)の時間は十五分だ。朝起きて漫画のネームを作り、それから仕事に行く。仕事中に漫画の展開をイメージし、机仕事、社食、会議をしながらアイデアをふくらませる。帰ったら作業の続き。進み具合は六ページ。いっぽう美晴は、バイト以外はとにかくネーム、ネーム、ネーム! 進まない! 苦しい! やっと六ページできた!

 

向河原と美晴は正反対の生活を送っている。どちらも兼業作家だが、向河原は会社に通いながら規則正しく漫画を作る。美晴はバイトと学校(非常勤で教える)の合間に漫画を描く。美晴の生活は流動的だが、向河原は安定している。スタンスが真逆の二人だから、漫画の作り方も真逆なのである。それでも一本の漫画が出来上がるので、漫画はつくづく奥深い。

 

美晴は感覚として漫画を作る。なのであれこれ苦しみながら直感的に展開を作るのだが、向河原は最初にプロットを立てて展開を決める。これはどちらが優劣ではなく、個性の話でもある。向河原にもそれなりの苦しみがあるだろう。

 

美晴と向河原が偶然出会ってから、やはり漫画を描いているので漫画論の話になる。美晴は学校で漫画を教えているものの、向河原の話は新鮮だ。なにせ彼はスタンスが逆なので、漫画の土台も異なるのだ。だから美晴にも届くものがあり、美晴はうれしがる。

 

そして互いにスタンスが真逆ということは、SN極のように正反対の力を持ち、接近することもある。二人が急接近(のように見える)した後にどう展開するのか、楽しみだ。

 

《終わり》

江月堂『MONOCHLOG』――ラフから広がる、広げる世界 (復)

みちお(江月堂)『MONOCHLOG』、2018を読んだ。同人誌である。

 

www.melonbooks.co.jp

 

2013年から2018年までの絵を抜粋した画集だ。スケッチがメインで、三百枚くらい収録してある。スケッチは様々な絵があり、上半身のみ描いたものから、上半身や下半身をキッチリ描いたものまで収録してあるので、模写したい時にはピッタリかもしれない。

 

収録されている絵はモノクロだが、ツールはエンピツ絵からボールペンと多岐である。筆絵もある。サークルカットの下書きや年賀状ラフもあるので、隅々にまで手が届く。漫画の下書きもあるので、どういう雰囲気を紙面に載せたかったのかを想像することもできる。

 

一ページの中に2013年の絵や2015年の絵が混ざっているところも面白い。眉や目の造りが若干異なるところもあるので、「時間が経つとこんな風に入れ替わっていくんだな」と感じられる。ラフの集合体なので物語性はそこまでないが、物語を取り払ったために、かえって作者性を感じることができる。

 

ラフ絵を見ていて面白いのは、作者がどういう順序で筆を入れていったのかが、なんとなくわかるところである。また、どこまで筆を入れて、どこまでをサクッと描けば、人物を人物らしく作れるのかもなんとなくわかりそうになる。髪の毛はどこまで描くか? 服はどうする? 下半身はどのエリアまで作り込めばいいのか? ラフをどこまで作るべきか、どれほどたくさん描くべきかは、絵を描く人にとってかなり大きな課題だが、この画集はちょっとした助けになる……かもしれない。

 

あるいは作者の真似をして、大きな紙にラフを模写してみるのも楽しいだろう。技法のひとつにクロッキーがある。五分から二十分ほどの時間で区切り、サッと全体的に描いてしまう技法だ。時間は限られているので、それほど緻密には描かない。クロッキーには色んな目的があり、物の形を覚えるためにクロッキーしたり、あるいは線を引くための練習、もしくは単純な線だけで、いかに自分の個性を出すかを試すための訓練にもなる。

 

ここでは他人の絵の模写をすることで、「自分の筆がよく乗るところ」「逆に筆が乗りにくいところ」を知ることができる。逆説的に自分の個性について学べるのだ。

 

文末にはみちおさんのコメントが記されている。

 

『この5年は

 僕が江月堂として

 コミティアに出展するようになってからの5年間でもあります

 人間ひとりひとりに個性があるように

 ひとつひとつの絵にも個性があると

 それらは僕の想像の産物でもあり

 見てきたものの記録でもあります

 これからもたくさんのものを見て、感じて

 また絵を描くのでしょう』

 

 作者はおそらく多くのものを見てきた。これからも多くのものを見ていくのだろう。その一旦を垣間見られる画集だった。

 

《終わり》