がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

僕の震災日記(投稿者:復路鵜)

その揺れが始まった時、私はいつもと変わらない日常を過ごしていました。
丁度ご飯時だったので味噌汁をすすったり、ご飯をもぐもぐ食べたり、魚を一つまみ二つまみ。そんな感じにいつも通りの日常を過ごしていました。
最初は電灯の揺れから始まりました。
カタカタと音を立てて揺れ始め、天井から少しずつ埃が落下しはじめてきます。聞きなれない音に不思議な顔をしていると、次に戸が揺れ始めました。
がたがた、がたがた、がたがたがた。
その一秒後には家全体が揺れていました。
がたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがたがた。
飼っているペットが怯えているというのが隣室の音から分かりました。
その頃には鈍い私でも分かっていました。これは風による揺れではなく、地震によるものだと。
いつもはテレビの臨時ニュースなどで出てくる、『震度○ ○○県 ○○町』。今私が住んでいる町は、まさしくこの地震に直面している町なのです。
揺れは治まるどころか、ますますひどくなってきました。座っていても尚、身体バランスがおかしくなってしまいそうでした。
崩れて廃墟と化した家。行き所を喪い路頭に迷う家族。崩壊しかけた家の中に取り残されて泣き叫ぶ赤ん坊。割れた道路、見渡す限りの惨状。
恐ろしいイメージが頭の中をよぎりました。
落ち着いていよう、落ち着いていようと自分を抑えます。
何十秒か経った頃、ようやく揺れは収まりました。
ほっとしたのも束の間、再びやってくることを予期して火の元を始末。各自が部屋の様子を見に行き、壊れたものが無いかどうか確認。
全てを確認し終え、ようやく一安心です。
数分毎に余震が発生してはいましたが、一応ひどいものはありませんでした。
ちゃっちゃとご飯を終え、そのころには多少の余裕が出てきました。
近くのスーパーの様子はどうなっているだろうと思い、ぶらりと見に行ってみます。
罰当たりな考えかもしれませんが、店内は予想したほどの異常もありませんでした。ところどころ酒が棚から落ちて中身をぶちまけ、棚のものは落ちていましたが、それほどひどいというものでもありません。
地震が起こるとやっぱりこうなるんだなあ、と思いながらちょろっとお買い物。家に帰っても余震程度の地震のみ。
テレビを見てみると、丁度親戚が住んでいる地域が震源地の近く。
安否を確かめようと電話をかけようとしましたが、他の人が皆私と同じ考えなのか全く通じません。携帯電話でも同じことでした。
これが地震というものかと思うと、少し怖くもなりました。
テレビでは震源地では震度は6強。かなりの規模の災害ということになりますが、実際に体験なんてしたことのないのであまりぴんときません。
まあ今夜はもう大きなものは起きないだろうと思い、就寝しました。

翌朝、何事もなかったかのように起きて新聞に目を通します。
その一面にはこう記されていました。
『4人死亡 けが350人 不明十五人 断続的に余震』記事の横には崩れてぐしゃぐしゃになってしまった家の写真。
死亡。
昨夜体験したあの地震は、まぎれもない災害だったのです。
そのせいで、人が死にました。4人も。
崩れた車庫に潰され、倒れてきた壁に押し潰されて、倒壊した家に生き埋めにされて。
震度6強は、それほどの災禍をもたらしました。
これが震度7だったら、8だったら。
背筋を冷たいものが駆け抜けました。
しみじみと自分達は運が良かったのだなあとも、同時に感じました。
願わくば、こんな震災が二度と起こってほしくはないものです。
そう感じた、被災二日目の事でした。

ここでお久しぶりのweb拍手のレスを
>これからも頑張って下さい。
ありがとうございます。だらだらしたりくじけたりしながらもがんばっていきます。雪蛙さんと春日さんが。