がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

SSを書く身としては(投稿者:春日)

 SSなんてものを書いている身としては、やはり言葉には多少なりとも敏感でなければ、と思っています。
 言葉というものは、多分、使っている本人が思っている以上に多くの情報を相手に与えます。それが恐ろしく、また面白い。
 同時に、多くの誤解をも相手に与えるわけですが。


『家族のことを書こうと思う』


 例えば、文章がこの一文で始まった瞬間、私などは「ああ、この人の家は円満じゃないんだな」などと思ってしまいます。本当に円満な家庭の生まれなら、そもそもこんな畏まった一文を書くわけがないじゃないですか。経験上、家族が円満でない人ほど必死になってそれを隠そうとし、また周りの人間が自分のことをそう思っていないか、確かめざるを得ない傾向があるように思います。
 もちろん、この一文だけでそうやって決めつけるのは、いくらなんでも強引すぎるのは分かっています。じっさい、その人の続きの文章を見て、認識を改めることなんていくらでもあります。ですが、たとえば人が、洋服の着こなしで他人の性格を窺おうとしたり、言葉遣いで他人の頭の良し悪しを知ろうとする程度には、こういう感覚は役に立つと思っています。


 これが


『母の手がいつのまにか、しわがれていた』


 であった場合、別に家庭の不和は感じません。前後の文によっては、この文にマザコンの気を感じるかも知れませんが、流石にこの一文でそうと決めつけるのはちょっと難しいでしょう。
 こんな風に、当たり障りのない言葉を使う人と、一々引っかかる言葉を使う人がいるように思います。
 一々引っかかる文章を書く人で、このサイトを訪れる方にはなじみの深い方の一人は、麻枝さんなんじゃないかな、と個人的には思っています。
 私はこの方を全く知っているわけではなく、ましてや面識などある筈もなく、ただおねかのえあ、それとCLANNADをプレイしたのみです。しかしそれでも、この人は家族に対して拘りが深く、ある意味異様な理想を抱えていることは感じます。
 何の根拠もありませんが、この人は家を追い出されたことがあるのかな? と、漠然と感じています。
 さりとて(なんて、古風な接続詞を思わず使ってしまいましたが)、そういう人の文章だからつまらない、ということはないのです。むしろ、そういう拘りがある人の方が、個人的には、当たり障りのない文章を書く人よりも、人の心を動かす文章を書けるのかも知れない。そんな風に考えました。