がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

ふうがみことさんの日記を読んで

私も復路鵜さんも文系なのですが、ふうがみことさんが「文系を低く言われると――」と言いたくなる気持ちには、共感できるものがあります。
いわゆる文系コンプレックスというやつで、世間様が理系を「モテない」などと評価する一方、文系を「数学ができない」「役に立たない学問をやってる奴ら」というイメージで評価することには反発を覚えるんですよね。
その背景には、まあ数学ができないから文系というイメージは概ね事実だろうということもありますし、20世紀に入って物理学や医学、生物学などの「理系的とされる学問」が華々しい成果をあげ、国や企業からの莫大な投資を理系が独占している現状、高度だが(西洋から見て)特殊な文化を擁しているという日本人の特質から、技術面(理系)では世界をリードする実績を生んでいるものの、思想面(文系)では世界に通用するものを技術ほどには生み出せていない我が国特有の事情、また近年はITの発達とともにPCを使いこなす能力は社会人の必須条件とされていますが、それらは一般に理系的とされていることなどが挙げられるでしょう。
しかし、そういった側面を除いても、文系人間が理系の人間に対して「気に喰わねえ」と思う部分はあります。それは、文系の学問は「何とでも言える」「人を納得させた者勝ち」という、まるで山師の言のように捉えられる一方で、理系の学問こそが「真実の担い手」、少なくとも「事実の担い手」と捉えられがちな点です。
理系の学問も、所詮は一つの仮説を提示する学問に過ぎません。例えば、ふうがみことさんはシュレディンガーの猫を挙げていますが、それに関連して相対性理論量子力学は互いに矛盾することが予想されているのに、双方とも理系の理論として認められています。ニュートン力学が成り立つ世界が限定的であることは言を待ちませんし、コペルニクスが唱えた地動説などは、全く現実と乖離していたのに理系の世界では定説となりました(惑星は太陽の周りを円運動しているのではなく、実際は楕円軌道を描いて運動しているので、コペルニクスの理論は現実の観測結果に全くそぐわないものだったのです。しかしそれでもケプラー以降の科学者は直感的にコペルニクスの理論を支持するようになりました)。
いやいや、数学こそは全く無矛盾の世界ではないか、と主張する人もいるでしょう。そういう考え方は、宗教の信者と同じです(否定するわけではありません)。例えば、数学は1+1が何故2となるかを説明してくれません。泥のお団子を1個ずつ両手に持って、それをくっつけたら1個ではありませんか? 1+1=2は定義なんだよという反論もあるでしょう。しかし、(これもよく言われることですが)定義から世界を解釈する論理の正しさという点では神学も負けていません。中世の形而上学で言われた「神は万能である(定義)。万能は存在することも含む。故に神は存在する」なんていうのは、全く否定の余地がない見事な三段論法です。すると今度は「数学は定義が正しいけれど、神学は定義が間違っているんだよ」という声が聞こえてきそうです。確かに、泥のお団子の例でも「容積」や「重さ」の概念を持ち出せば1+1=2が成り立つように、何となく1+1=2には普遍の真理がありそうな気がします。しかし、毎日決まった時間に朝が来て、夜が来て、私が存在してあなたが存在して……という世界を不思議だと思えば、そこに何か大きな意志が働いているのではないかという直感にも真理がありそうな気はしませんか? 1+1=2は正しくて、神はいないとする意見は「単にあなたがそう思いこんでいるだけでしょう?」と批判を受けても仕方がありません。実際、非ユークリッド幾何学という「別の定義から生まれた、別の数学のカタチ」が独立に存在していることが証明されています。
このように、理系も文系同様、仮説を提示する以上のものではありません。夏目漱石の「智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ」なんてのはニュートン力学と同じくらい、世界を上手に説明してるように思えます(そして「それが全てではない」でしょうね。ニュートン力学と同様に)。ここまでを説明すると、今度は「世界に対する影響力は理系の方が大きい」と言い出す人が出てきたりします。ケインズの理論は数百万〜数千万人の人間を餓死から救ったかもしれず、マルクス主義のおかげで世界地図は大きく塗り替えられ、現代の日本人が物凄い迷惑を被っているにも関わらず、です。
言い換えになりますが、文系であっても理系であっても、学問とは「世界を説明するというパズルに対するアプローチ」に過ぎません。高校の物理学だけでは、全然現実の現象を説明できませんが(10円玉と1000円札を同時に落としたら、10円玉が先に落ちるに決まっています)、最先端の学問もそれを遙かに精密にした、しかし本質的には高校の物理学と変わらないものでしょう。もちろん、文系も同様です。ただ、一般に、自然科学の方が実験やその成果が目に見えて分かり易いので、直感的に凄いと感じられるのも事実でしょう。その辺りに、文系の理系に対するコンプレックスの根源があるように思います。