がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

アーヴィング・ストーン『炎の生涯 ファン・ゴッホ物語』フジ出版社、1975

:オランダ、ある牧師の息子で当初は画商であったけれど、次に牧師になろうとし、失敗し、画家になり、絵を描きはじめて貧困と苦悩の境目で常に呻吟し続けた男の話。名前はフィンセント・ファン・ゴッホ(この名前はドイツ語読みで、オランダ語読みではヴィンセント・ヴァン・ホッホになるそうです)。この本に綴られているのは、画商であった彼がいかにして牧師を通って画家になったのか、如何にして死んでいったのか。二十一歳の、恋愛を知った彼の目から物語は始まり、三十七歳、横腹にピストルの弾を撃ち込んで自殺するところで終わります。


 イギリス、オランダ、フランス、ベルギー、ヨーロッパの各地を経ながらフィンセントは旅をし、人と出会い、打ち震え、挫折し、弟に手紙を書き、別れ、次の地へと向かいます。その情緒と描写は豊かで色鮮やかで、時に煮詰め切ったシチューのように飽和しきった色彩がページを埋め、時にほのぼのした馬鹿馬鹿しさを持って迫ります(例えば、生涯フィンセントを助け金を送り続け、ずっと彼を見捨てなかった弟テオとの会話など)。大量の、フィンセントとテオの間の書簡を基にして編まれた物語は、ひたすらに厚く叩きつけるように彼の人生を伝えてきます。その速度はのびやかだったり、急加速したり、ふわふわと頼りなかったり、そして上に下に裏に表に終始動き続け、たくさんの速度が詰まっているかのよう。


 同時にこの評伝の中で展開されているのは、挫折し続けた男の落伍者としての人生、画家としての人生、人に恋し、人から愛された男の人生、いずれも人の精神を貫く重要な要素です。だからこそフィンセントはさまざまな見方で読み解くことが可能であり、一つを拡大して分析しても遜色無く活き活きとしているのでしょう。私が気に入った図柄は、画家として、情熱の塊となって描きなぐるフィンセントの姿でした。絵描きとしての姿勢に憑かれ絵筆を取り、自分の耳を切断して収容された精神病院でも描きをやめず、最終的には強靭だった意欲の減退と生活苦によって自害に走るフィンセントの姿は、華々しいほど鮮やかに脳裏を過ぎります。


 自身の生活に苦悩し、進むべき道に悩み、画家としての才能の無さに嘆き、絵の下手さに悲しみ、友人らとの摩擦に葛藤し、己の意欲の消滅を存在価値の消滅と絶望した姿。こうして抜き出せば、フィンセントの物語は苦悩の物語であったとも表現できるのではと思います。


 評伝でありながら、がっちりとした重厚な構成と、どこまでも丹念に組み上げた描写によって、読後にやってくるものは長時間の大作映画を見終えたような、洪水が流れ去ったような感じでした。人の生が流れ去り、それが生まれた時からずっと見ていたような、壮大で雄大な終末を見た気分です。大きい本でした。


 あと他のキャラクターですが、フィンセント以外にもウェイセンブルフとかゴーギャンも好きです。特にゴーギャンは、金がなくて食事できなかったのに、仲間には『子牛のあばら肉にグリーンピース』は最高だったぜ、とか吹聴している場面がのほほんとするような笑えるような。芸術家というのはそういうものでしょうか、いやはや。ウェイセンブルフはツンデレ

炎の生涯―ファン・ゴッホ物語 (1975年)

炎の生涯―ファン・ゴッホ物語 (1975年)