がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

伊藤計劃『虐殺器官』ハヤカワ文庫、2010

:二千一年以降のテロとの戦いは激化の一途を辿っていた。副現実(オルタナ)、侵入鞘、痛覚マスキング。より先鋭化する科学に抱かれながら活動する、特殊検索群i分遣隊――通称、合衆国の暗殺部隊に所属するクラヴィス・シェパード。彼は後進諸国で急激に増加する内戦や大規模虐殺の調査を行うが、その影に一人のアメリカ人、ジョン・ポールが暗躍していることを知る。各国を巡りながら大量虐殺の謎について調べるシェパードは、やがてジョン・ポールの目的を知るようになる……

 外側を埋め尽くした作品、という印象を読み終えて抱きました。この作品にとどまらず伊藤計劃さんの作品(数少ないのが残念)は設定が精密でありながら濃く練り上げられており、非常に読み応え・歯ごたえがある代物ですが、彼の始原であるこの『虐殺器官』からそれは端緒でありました。侵入鞘(イントルード・ポッド)、IDタグ、オルタナなどの先鋭ガジェットを理解しやすく配置しながら、一方でシェパードの心理にずぶずぶと分け入ります。チェコで出会うルツィアとの邂逅やバディのウィリアズムとのひょうきんな会話(誇張なしに)を織り込みながら沼のように開陳されるシェパードの心理はひたすらに重く深く、さながら外壁を重武装しながらも中身が重みを持つ空白で満たされた、矛盾で出来た城を思わせます。外と中とのあまりにも大きな差異・剥離状態によって矛盾した状態をこの作品は両立させきっていますが、それは外壁が豊潤に作られつつも、内側を極限まで煮詰めたからに他ならないのではないかと思われます。矛盾の様は戦闘や乱闘シーンで如実に表れており、現実での表現に凄まじくシェパードの感情が入り混じった結果、戦闘が無味乾燥なものというよりむしろ、回想シーンのように臨場感から一歩引いたものとなっています。

 外壁が十分なまでに形作られながら、あくまでも作品や文章の表現主体はクラヴィス・シェパードの内部そのものです。シェパードは何度も戦闘やブリーフィングに対話、そして光学サイトやオルタナを通じて人を殺めながらも、最後に自分の底に戻ります。イメージとしてはナイフで抉りながら思考をやめない哲学者です。彼の世界が波乱に満ちればやはり現実も波乱になり、彼が穏やかになればリアルもまた穏やかになります。なまじ戦闘力と権限、また物語のキーを握ったために(主人公とはそうであるものでしょうが)現実そのものを彼の精神が左右する事態となったように思われます。この『虐殺器官』という物語は作中でも語られる通り、まさにあらゆる人物と物質を巻き込んだ、《ぼく自身の物語》なのでしょう。

 そうした、シェパードに全ての荷物を預けるような運びに《虐殺器官》そのものも紛れ込んでいる、というのが面白い点でした。虐殺とは何ぞや、人と人とが争い合う核とは何ぞや、という問いかけがなされ、そうした問いの周辺や重要な物を巡って各国が争い合います。しかし結局、一つの事象あるいはガジェットに過ぎないそれに関与するのはシェパードであり、やはりいちばん大切に扱われるのがシェパードの内部、という風に思われるのです。つまるところ、全てはシェパードが握る、ということで。とは言え大量虐殺の底に潜む沈殿物や収穫物の仕組みはとても面白く、しみじみと暗黒について思いを馳せるのでありました。

 文体は、とてもくだけた文章でありながら翻訳物を彷彿とさせる設定の造りが混じっており、好みです。シェパードの独白にも砕けは入りますしウィリアムズとの対話でも同様です。またパロディも所々に挿入されており、一方で追求しながらも一方ではふわふわした力が抜けるパーツも混在しています。適度に余裕を入れながらも詰める所では詰めていくので、術語や専門用語に近いものもズルズルと頭に入ってきます。硬さと柔らかさを程よく混ぜた小気味良い文章でした。この傾向は『ハーモニー』でも継続しております。ちなみに両二つは一人称で語られる作品ですが、こうした文体を三人称でこなすのは難しいのかなあ、と頁をめくりながらしみじみします。


虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)