がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

平山夢明『暗くて静かでロックな娘(チャンネー)』集英社、2012

全五回予定の第二回です。
SSの合間に感想とか書くとけっこうはかどるのですウフフ。脳みその使ってる部位が違うのかも知れません。


『兄弟船』
:市三は不幸だった。狭苦しくて息が詰まりそうな世界、誰にも助けてもらえない世界、自分の真上に煉瓦が一万個ほど積まれて動けない世界に市三はいた。平凡な人間だった。パチンコ店に行けば渋い釘にやられ、実家のふとん屋兼いかがわしい薬を売る店はうまくいかない。兄がいた。学生時代にアメフトで成功して海外へと旅立ち、ドラッグその他のせいで頭をぐしゃぐしゃの役立たずにして帰ってきた兄が。市三は不幸だった。女に嘲られて兄貴にはヘッドロックされ、銭湯の違法アルバイトで小金を稼ぐ生活が、不幸だった。
 一つの線をひいこら愚痴りながら、サーカスのように渡っていく話のように思います。主人公は陰鬱で不満ばかり抱えているのに、何らアクションを起こさず、うじうじと内にこもりながらパチンコに精を出しています。兄や女と出会って変わるかと思えば、反抗ばかりガツガツとしては自身の中へと閉じこもり、もはや自分が不幸なのか不幸が自分そのものなのか……という、訳の分からない沼にどっぷり落ち込んでいきます。とは言え他の人が描く話みたいに底抜けに暗い話でもなく、狂いながらも軽妙な兄や、その他の生活に必死な登場人物たちが、良いように悪しざまに主人公を踏みつけていくので、さりげなく飽きが来ません。原住民らの諍いを見ているようで楽しくもあります。ちょっとウーンと思う点については、一人の登場人物が出てくる理由が、ややデウス・エクス・マキナ的な所があり、ただ単にあのために出したんじゃないの、と考えてしまう所です。
 とは言え、そうしたデウス・エクス・マキナ……運命の糸にずいずいと引かれていくからこそ、あの結末につながっていくのだと思います。どこか恣意的でありながらも、だからこそ主人公が至る事のできた境地は、何かしら感嘆する所もあって、発見もありました。 


『悪口漫才』
:前科のある四十男のカホルが主人公である。彼は人を轢き殺して刑務所に入ってきた。帰った先の家族は生きながら腐っていた。カホルも腐っていた。仕事はうまくいかなかった。部下に罵られ、成績不良社員のレッテルを張られている。カホルの世界は屑沼に満ちている。浮かぶのは家族の首から上で、驚くほど全てが腐敗しているので彼はたまに彼らの顔面を踏み潰したくなる。暗澹というよりも、もう終わった人生だった。有る日、彼はまた轢いた。子どもだった。
 作品集でこの作品に最も惚れ込みました。《悪口漫才》の意味を知って笑い、カホルの境遇に笑い、家族に笑います。会社の動きにも笑います。笑えてきます。全てがカホルに向けられた毒であり、彼の人生は俗にいう《詰み》だと思いますが、そこに降って湧いた災難として子どもの轢き逃げがやってきます。毒に毒を足すというか、難病患者に奇病異常病をプラスしたような《詰み》の相乗は、作品世界をどんどん暗黒に連れて行きます。底なし沼のように暗闇に落とし込みます。作品自体はそれほど長くなく、むしろ平均するとやや短めといえる代物であるのですが、私はここに何かしらの《極限》を見ました。
 題材自体はどこかに置いて有りそうな代物であるのですが、あまりにも内容を貫く底地が尖りきっており、上空から突き刺さっては深層に入り込んで地殻に達する勢いでした。馬鹿馬鹿しさと酷薄さの絡み合いはユーモアでありながらもどうしようもなく、《狂気》とか《暴行》より、《残骸》を主にして構成される作品として脳裏に刻まれました。他にも種種雑多な負の感情が超高高度爆撃機から落とされる爆弾型ドリルのように脳髄を貫くので、作品の世界に入り込んでいるうちに息や心臓を忘れるほどです。これほど構成されきった作品も、そして底を流れるテーマが一貫しきっている作品も珍しく、まさに素晴らしいとしか言い様がありません。
 鉛筆削りで黒部分が露出しきり折れそうなほど尖らせてから、それを生体に突き刺した作品。柔らかな肉に刃物を突き刺した美しさが、流れる血から膿も共に溢れだしたような楽しさがそこにありました。
 読んでいて夢中になり、楽しいけれど、みんながみんな破滅で滞っている作品。外から眺めるのは野次馬の気分で面白いです。

暗くて静かでロックな娘

暗くて静かでロックな娘