がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

青カビな俺『Ico McDonnel's Story -Iraq War-』――ゴアと凄惨と下卑とユーモア(復)

青カビな俺『Ico McDonnel's Story -Iraq War-』読み終わりました。同人誌。イコ・マクダネルの戦争前日譚。『イラクの自由作戦』当時のアメリカ軍兵士たちがどのように戦い死んだかをゴアゴアしく描きながら酸鼻な美を求める一作。野蛮と下品が好きならおすすめしたい作品です。

『ぽぽぽぽ』――ふりがなとカタカナの絶妙なエイミング(復)

へにゃらぽっちぽー『ぽぽぽぽ』、2019 を読んだ。

へにゃぽちゃんとへにゃらぽっちぽー兄さんが各地で活躍する話であり……絵本のような文庫本であり、カタカナとひらがな、漢字がマイムマイムを踊りながらサークルを描く……「ぽ」の使い方が独特で楽しく、引き込まれる作品であった。

あと、へにゃらぽっちぽー兄さんはアイドルになったりする。装丁もしっかりしていて良い同人誌だった。

野尻抱介『南極点のピアピア動画』――初音ミクが宇宙と交流する頃の人類 (復)

 野尻抱介『南極点のピアピア動画』ハヤカワ文庫、2012を読んだ。SF小説である。小説だが実在ジャーナリストが実名で登場しててびっくりした。

 

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

 四篇収録の連作集である。一話六十ページほどで、最終話が書き下ろしの百ページ。どんな内容かというと……ボーカロイドの小隅レイである。カバージャケットはどう見てもミクなのだがこの世界では小隅レイである。そういうことにしてほしい。小隅レイがラブソングを歌い、地球外生命体と小隅レイの形式を通してコミュニケーションしたり、小隅レイを共通点にして男女が青春したり、そういう作品である。宇宙に行くとか深海があるが、暴力はあまりないので、ゆったりと楽しめる。

 

 またこの世界にはピアピア動画という動画サイトがある。メニューが八個くらいあってピアピア技術部とか画面内でコメントが流れる仕様がどうしてもあの動画サイトなのだがぽいのだが、そこは棚においてほしい。確かにニコニコ動画はちょっと見づらいし生放送とかもあまり見ないが、最近のニコニコ動画はログインしなくても動画視聴ができるようになったし、ニコニコ静画も盛況でおもしろいマンガも載ってるので、許容範囲多めにしてほしい。ピアピア動画の由来は、ピアツーピア型の形式で運営されているのだし。

 

 上でも書いたが、悪人が出てこない。男が女を宇宙に連れて行く話だったり、ハミングマートに勤める女が小隅レイ経由で男と知り合う物語があるが、最終話『星間文明とピアピア動画』のところからグッと話が加速していく。宇宙人が出てくるが、小隅レイを媒体にして人類と交流を始めるのだ。

 

 あるいは最終話に全てを打ち込むような勢いで伏線が回収されていく。人類はレイを用いてようやく宇宙人と対話できるのだが、主人公はやはり人類だ。小隅レイはスーパーヒットしたが、それ自身の意思は特にないただのボーカロイドなので、やはり人類が頑張らねばならない。ピアピア動画とそこに集まる有志たちが試行錯誤し、どうにかこうにかやっていく。

 

 一番気に入ったセリフは、「人間じゃないものが人気者になると、みんな幸せになる」(185頁)になる。スーパーヒットの小隅レイにあやかって、人々の行動が促進されるのである。小隅レイをメディアにして創作をすると、それまで認知されなかったものが受け入れてもらえる。小隅レイ関連のグッズも売れる。小隅レイ関連のイベントは人気が出るし稼ぎもいい。二次創作よりも一次創作に寄せていった、まさにメディアとしての小隅レイであり、それが広がると宇宙にも手が届く。

 

 活動の土台になるのはそれぞれの《好き》という感情で、そこから派生した行動は、人々にバリエーション豊かな刺激を与えるのだ。面白かった。

 

《終わり》

銅大『SF飯 宇宙港デルタ3の食糧事情』――だるまさんがころんだ、ぐりっ、ぴーっ! (復)

銅大『SF飯 宇宙港デルタ3の食糧事情』、ハヤカワ文庫、2017を読んだ。以下続刊している。

 

 

 

 飯である。宇宙で飯である。もともと住めるところでなかった宇宙まで来れたんだからそこまでこだわらなくてもいい気がするが、そんな融通がきかないのが人類である。栄養を取らなくては倒れるし、栄養を取れるなら、ちょっと一捻りしようじゃないか。焼こう。煮よう。発酵させよう。

 

 ということで、食料合成機ができた。宇宙に食材をそのまま持ち込むことは難しい。コンロや電子レンジを持ち込んでも、電力や熱操作とかを考慮すると難易度が跳ね上がるし、そもそも食材がない。そこで宇宙船に備え付けられた食料合成機に食用藻などの材料を放り込み、ガチャガチャと音を立てて作るのである。この本に出てくるお店〈このみ屋〉は、食料合成機で飯を作ってお客さんに出す。かつて先代の時は栄えていたが、コノミの時代だとお客さんはあんまりいない。たぶん……コノミが料理修行中だからだろう……

 

〈このみ屋〉で奔走するのは少女コノミである。店に転がり込んでくるのが、ふらふらしすぎて実家を勘当された若旦那である。主人公だ。コノミは若旦那の家に小間使いとして仕えていたので、立場逆転である。どうやらコノミは若旦那にひとかたならぬ想いを抱いていたらしいのでこのシチュエーションなら速攻でハッピーエンドだな、と思うが、若旦那があんまりにもふらふらするのでそうはいかない。宇宙酔いや空腹に苦しめられながら、若旦那はあちこち飛び回る。

 

 若旦那とコノミはひょいひょい、丁々発止で生活していく。その様は漫談ともライトノベルともつかないもので、初めて入った読者には異様な軽さが気になるかもしれない。しかし、その丁々発止が本書を読む時のハードルを下げ、かなり読みやすくしてくれる。かなりガッチリしたSFなので、とっかかりができるのはありがたい。

 

 本書の登場人物は若旦那、コノミ、知性強化をしたすごいイルカ……サイボーグ、スリーマンセルで行動する二足歩行の虫星人などなど……である。異文化交流どころの話ではない。人類だけでは宇宙ステーションが回らないのだ。

 

 クセだらけのキャラクターを〈このみ屋〉に呼び込み、うまい飯を食わせる。それは大変な仕事である。満点サラダ……グーライ菌の子々孫々丼(当店の一番人気)……昆虫星人……宇宙ステーキ……ヌカミソハザード……様々な要素を検討しながらも、人間やだいたい類似の知的生命体が同じテーブルについて食べられるレイヤーまで底上げしていく。そして互いがウマイというような飯を作るのだ。

 

 そういう面倒くささ、難解さを噛み砕いて本書の底を通るのは、やはり若旦那とコノミの丁々発止である。これによって本書はハードSFでありながら、なんとなく面白い会話とシチュエーションでスイスイ読んじゃえる楽しさ――ページをめくる喜びを生み出すことに成功している。面白い小説だった。

 

 なお途中で、若旦那のところにGが出現する展開がある。グアテマラとかドイツのGでなく、虫のGである。確かバイオハザードでも敵キャラで出た気がする。若旦那は虫が苦手でないのでGが頭に載っても大声をあげたりしないが、だいたいの人はそういう目にあったら叫ぶとか逃げると思うので、ここだけ書き出しても若旦那はそうとうな大人物だといえる。だがもうちょっと彼は衛生に気を遣ってもいいのではないか? 若旦那はふらふらしすぎて職業判定がDマイナス(働いたら職場災害が起きるので労働禁止)になっているが、Gに抵抗がなさすぎるのも一因を担っているのでは? コノミや彼の妹は若旦那を憎からず思っているが、そのへんもきちんと話し合ったり腰を据えて会議することでGを出さない感じにするべきではないだろうか……

 

《終わり》

 

 

鷹見一幸『再就職先は宇宙海賊』――意地、意地、意地、ロマン! (復)

鷹見一幸『再就職先は宇宙海賊』ハヤカワ文庫、2018を読んだ。次がありそうな書き方だが、もしかしたらこれで完結かもしれない。

 

再就職先は宇宙海賊 (ハヤカワ文庫JA)

再就職先は宇宙海賊 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 SFには前提がある。スチームパンクならかっこいい蒸気機関車とか飛行船が出てくるし、ニンジャスレイヤーの場合は2000年問題UNIXがばくはつし、そもそも平安時代はニンジャに支配されていたという前提だ。このSFの前提は、月である。ざっくりいうと、スーパーテクノロジーを持つ異星人らが月にゴミを捨てていったのだが、それを発見した地球人がゴミからスーパーテクノロジーを再現し、宇宙探査に乗り出したのである。以降、ゴミでは名前が悪いので帝国の遺産と呼ぼう。人類はこうして帝国の遺産――スーパーテクノロジーを手に入れたのだが、生産できるほど技術革新ができてないので、生産できるテクノロジーなり代替品なりを探さなければならない。ということで、宇宙探査だ。

 

 メインキャラクターは男三人である。ヒロユキと、会社の同僚の佐々木と、同じく会社の同僚でイギリス人のウォルター。ウォルターにはアズサさんという恋人がいるが、どういう人なのかちょっと気になる。後半で女性も追加されるが、彼女も他に負けないくらい濃い。

 

 三人が働くのは地球から離れた小惑星帯である。異星人が残した不用品で宇宙に出発した人類は、他の帝国の遺産を探すためにゴールドラッシュに乗り出した。手近な目標は小惑星帯だ。ゴールドラッシュといえばかっこいいが、当たれば億万長者だが、外れれば一文無しとか宇宙の塵になってしまうギャンブルである。山賊みたいな敵もいるし、通信や生活も地球に比べてめんどくさい。少女雑誌も電子端末にダウンロードしないと持ち込めない。

 

 こうして男三人が会社の仕事として小惑星帯に宝探しをしに来たわけだが、ここで会社が倒産した。宇宙船の燃料はなく、食料を買おうにも経理とかポケットマネーもばくはつしたのでほぼホームレスである。しかしヒロユキが苦境に陥っている最中、佐々木とウォルターは発見した。帝国の遺産である。

 

 ここから一発逆転を狙った男たちの生存競争が始まる……となると活劇なのだが、現場の雰囲気はもう少しだらっとしている。男三人がああだこうだ議論しながら試行錯誤していくが、SFならではの用語も身の丈にあったところでボチボチ出してくれるので読みやすい。ヒロユキは三十五歳で彼女はいたことがなかったし、ウォルターはとにかくよく喋る。前職コメディアンだったの? っていうくらい喋りがうまい。佐々木は目端が利いて機械設計に通じているが、汎用端末に萌え声を仕込むなど、油断がない。

 

 そしてジャケットにも出ているように、女海賊である。後半からヒロユキたちに合流してくる彼女の正体は……モジョコさんである。都市伝説みたいな名前だが、おもしろいキャラクター造形なので詳しくは本書を読んで欲しい。

 

 だが、最後に一番奮うのはヒロユキなのだ。なんでかというと、彼には夢があった。ロマンもあった。夢の中身はマニアックであり普通の会社生活をしているので縁はなかった。しかし彼の心には着火を待っている代物があり、それと物語とがぶつかったのである。夢との接点がないまま生活をしていたヒロユキが、内心で意地を吐露し、ぶちまけるシーンは必見。冴えなくてボサっとしていた男に火が灯り、埋もれていた意地が立ち上がる。タイトルにも『再就職先は宇宙海賊』とあるように、いかにして彼が宇宙海賊になっていくのか、だらっとしながらも良い方向に振り切れていくくだりが面白い。やはりこの小説、センス・オブ・ワンダーもあるが、ワンダーの上で人が悩んだり喜んだりする姿が楽しいのだ。

 

《終わり》

マックス・ブルックス『WORLD WAR Z』――ゾンビ出現を経たパラレルドキュメンタリー (復)

 マックス・ブルックス(訳:浜野アキオ)『WORLD WAR Z』2013、文春文庫(上下)を読んだ。実際にはもっと前に読み終えていたのだが、やっと感想を書く気になれたというほうが正しい。

 

 

WORLD WAR Z 上 (文春文庫)

WORLD WAR Z 上 (文春文庫)

 

 

 一口でいうならゾンビと人間の戦争である。個人やグループ間の逃げる話でなく、人類がアジアやユーラシアの場所で戦いきってゾンビを絶滅させる話だ。つまり、ゾンビに勝った。

 

 他のゾンビ作品ではゾンビと人間の争いや人間同士の確執もあるが、他地域が具体的にどうなっていたかだったり、数十年単位で見ると人間はどう過ごしていったかについてあまり触れられていない。スティーヴン・キングもケータイを使ったらゾンビになる『セル』という小説を書いたが、あれも「モスクワやモスクは完全に荒廃しきった」ぐらいの描写しかなかった。しかも最終的にゾンビについては「雪が降れば寒くなるから凍るとかして減っていくだろう」しかないので、実質よくわからない。

 

が、この作品では全世界的な規模で話が展開するし、押し切られる寸前だった人類はどうにか持ち直して勝利する。恐るべきは作品内における文化解像度の高さである。日本だとアイヌ文化や被爆者の話が出てくるし、中国や韓国の実情もつまびらかになる。若干ロシアと日本などでテンプレ感が否めないところもあるが、クウェートだとシオニストパレスチナ自治政府の話を出しつつもゾンビに絡めて話を通すことに成功している。ゾンビと地域をきちんと取材した賜物だろう。

 

 下巻裏の紹介文を見てみよう。以下引用だ。説明すると、上巻までで人類はゾンビによって半死半生のところまでボコボコにされている。

死者の大軍を前にアメリカ軍は大敗北を喫し、インド=パキスタン国境は炎上、日本は狭い国土からの脱出を決めた。兵士、政治家、主婦、オタク、潜水艦乗り、スパイ……戦場と化した陸で、海で、人々はそれぞれに勇気を振り絞り、この危機に立ち向かう。「世界Z大戦」と呼ばれる人類史上最大の戦い。本書はその記録である。

 

WORLD WAR Z 下 (文春文庫)

WORLD WAR Z 下 (文春文庫)

 

 

 

 世界Z大戦。字面はバカバカしいが中身は本気である。この世界Z大戦はいちおう人間側の勝利に終わり、ゾンビの脅威も過去のものとなっている。そのため、文章の形式はインタビューだ。取材するためには数十人に話を聞かねばならず、当事者に話を聞いていくにつれ、人々が生き残るために起こした行動や所業がつまびらかになる。ドキュメンタリーの形をしながらゾンビ時代の前と終結までを描いていく。

 

 ホラー小説の特徴としてクローズアップされるのは失敗である。誰かがヘマをしたりミスをしたり、あるいは明白なサインを無視し続けた結果、悲惨な出来事が起こる……本書でもデカいミスがあり、大勢が死んだ。詐欺もあったし、無能の結果としての事故もあった。生き残った人々もたいていは死にかけた。最終的に人類が勝利したので限界のところで立ち直ったからだが、ミスの影響による悲惨な事件は胸を傷ませる。ヨンカーズの戦い……豪華なシェルターに立てこもる映像をインターネット配信し続けた芸能人たちの末路……城に立てこもったはいいものの、飢餓とインフルエンザの蔓延から絶望し、ゼットヘッド(ゾンビを指す――他にはグール、グンタイアリ、Gなど)の群れに飛び込んだ人々……良いドキュメンタリーは会話だけでシーンを呼び起こす。呼び起こし、視聴者に痛みを与える。

 

 しかし人類は生き残った。なぜなら死んでない人間が智慧をめぐらし、サバイバルしようともがいた結果のほうが、失敗の結果よりまさったからだ。ジャマイカにいる身内の安否も尋ねず、文明を支えようと働き続けたアメリカ大統領(この小説が書かれたのは2006年である)……生き残ったが、希望がない明日を不安に思い、眠るように死んでしまう人々を元気づけるために、映画を撮った映画監督……ウォール街で働いていたが、資源産業省に配属され、生者テリトリーのあちこちからエネルギーと人材をぶんどり、采配し続けたアーサー・シンクレア……彼らの努力はまさに氷山の一角だが、一部の英雄が他を活性化させ、どうにかしてゾンビ時代を乗り越えるのに成功したのは事実でもある。

 

 この作品はフィクションであるが歴史である。現代史だ。現代史にはさまざまな用語が登場する。例えばシンクレアがトップになった組織である資源産業省や、ゾンビ時代のゾンビ特効薬としてバカ売れしたファランクス(中身はインチキ薬だった)、ゾンビの脅威を初期段階から指摘し続けたヴァルムブルンレポート(官僚はだいたいそれを無視した)、レデカー・プラン……成功したプランもあれば失敗した戦争計画もある。兵士が使う用語もあるし、クイズリングという頭がおかしくなってゾンビに寝返ってしまった普通の人間もいる。精神医学用語もあるし、舞台が宇宙ステーションから深海に渡るので、専門用語もジャンジャン出てくる。

 

 読んでいて一番驚いたのは海のゾンビである。ゾンビは泳げないんだから海を渡れるはずがない。日本に来るはずもない。もし日本でパンデミックが起きたなら、離島や小笠原諸島にでも逃げればいいだろう……と思っていたのだが、簡単な抜け道があった。ライフジャケットを着た人間がゾンビ化するのだ。ほかにも、腹の腐敗ガスが浮き輪代わりになってプカプカ海を浮くことや、船の上でゾンビになり、突き落とされたら流されてきたゾンビもいる。しかもこの作品では、深海のゾンビは水圧でぺしゃんこにならない。理屈はわからないが深海だろうが歩いて渡るのである。島国安全論はこうして消え去った。無人島だろうが南極だろうがゾンビが上陸する可能性が出てくる。

 

 傭兵、被爆者、軍人、シンクレア、CIA長官……さまざまな当事者からの話を聞き、補注をしながらインタビューは続く。然り、全ては過去のものである。未だ地球上にゾンビの残りがいるとはいえ、ゾンビの時代は終わった。

 

 だが人間たちの間でゾンビ時代は終わっていない。さながら戦争の後遺症である。フィクション上で第三次世界大戦が起きたが、こうして全世界の心にゾンビはあらゆるものを残していった。ひとつの時代が終わったが、文明も半分ぐらい終わってしまったので、人類はそこから建て直さなければならない。人が現実に問題を抱えるように、ゾンビの問題を抱えたまま、また前進しなければならない。あるいは回想録や歴史書が出版されながら、もしかしたらゾンビも過去のマイルストーンの一部になっていくかもしれない。なぜなら人類はゾンビに勝ち、おおむね人類は生き残り、生存者たちの話は続いていくからだ。

 

《終わり》

飴村行『ジムグリ』――まつろわぬ民、銃、地雷、そしてシャッテン (復)

 飴村行『ジムグリ』集英社文庫、2018を読んだ。ジャケットそのものが極彩色で怖いし書いてあることの意味もわからない。帯には「関根勤さんも大絶賛!」と書いてあるのだが、作者の粘膜シリーズを読んで大ファンになったそうだ。芸能人もこういう小説読むんだなあ、と変な感心があった。ちなみに解説も関根勤さんが書かれている。

 

ジムグリ (集英社文庫)

ジムグリ (集英社文庫)

 

 

 

 どこから始まるのかというと、トンネルだ。主人公である博人が大宮あたりから引っ越してきた小仲代群獅伝町には、虻狗隧道と呼ばれるトンネルがある。トンネルは地下に通じているのだが、そこに住むのは〈モグラ〉と呼ばれる国家に所属しない民であり、彼らは必要に応じて外に出て人々に危害を加える。ドリュウ服を着用している彼らは軍衣や編上靴を履き、必要に応じて銃で武装している。

 

 国の中に国があるというひっくり返りそうな世界観だが日本人は普通に適応している。外界に出てきたモグラ兵は見た感じ大日本帝国陸軍で防毒面を被っているが、警察の処理は手慣れているし〈モグラ〉の話は獅伝町にしか伝わっていない。役所や警察が馬耳東風を決め込み続けた結果として、〈モグラ〉はいないことになったのだ。

 

 その古来よりあるトンネルに美人妻の美佐が入っていった。〈モグラ〉と美人妻なんだからエロ本の導入にでも使えそうだが、作品で出てくるのは混じりけなしの暴力、罵倒、ゴアである。そもそも問題は〈モグラ〉だけでなく、博人の周囲の人々や環境、もともとの博人が持っている問題が混じり合い、トンネル以前から暗黒が渦巻いている。

 

 今作ではトンネル内の地下帝国について説明を聞かされるシーンが群を抜いて禍々しく印象的である(このシーンは文庫での加筆修正のようだ)。

 

 終戦直前、兵役逃れ達がトンネルに逃げたと聞き及んだ兵事係吏員は地元の人間を締め上げてそれまでの因習を暴露し、地元の兵隊を巻き込んで武装警官五十名以上の大捜索隊を練り上げるとトンネルに向けて出発した。

 

 結果は兵士と警官併せて全滅である。所詮〈モグラ〉と侮っていた兵士たちは爆弾で奇襲されて半数以上が吹っ飛び、散開した生存者たちに四方八方から銃撃が浴びせられた。生存者は川沿いに逃げようとしたが地雷原になっており、だいたいが爆発してバラバラになって死んだ。国内に地雷埋めてんじゃねえよ!

 

 ちなみに〈モグラ〉の叛乱は県外には知られなかった。叛乱の翌日には玉音放送と玉音盤の争奪戦で首都がグチャグチャになったため、なんとなくその後も彼らは封印されたのだ。

 

 この辺りのシーン、戦時中の生々しい体験談という形に則っているが、それにしても異様に禍々しく、一行一行から暴力が滲んでいるので痛みと面白さを同時に覚える。

 

 その後はいよいよトンネルである。紆余曲折あって暗黒のトンネルに入った主人公だが、中で育っていたのは異質な文明である。基礎的なところは帝国陸軍と類似しているが、根本的に異なっている。まず人体の構成から違うし、楽器で治療もする。そこにドイツ語混じりの対話を聞いていると、SFどころでない異世界にワープした面持ちになる。

 

 そして主人公である博人の心情の転換である。最初は問題だらけで精神疾患もあったとはいえ、獅伝町で普通に生活していたのが、徐々に地下帝国の価値観に染まっていく。一歩前進一歩後退を繰り返しながら博人は暗黒に入り……〈モグラ〉に慣れ親しんでいく。その幻想的な歩みを取り巻くのは、そもそもどうして妻はトンネルに入ったのか……トンネルに住む民は何を目指しているのか……そうした謎の数々だ。

 

 最後はやはり博人の物語で締まる。解説で関根勤さんが博人を「ドロップアウトしていく男」と評していたが、その通りだと思う。内面に暗さを抱えた男が、トンネルに誘い込まれるように入っていく……生きては戻れぬ暗黒に、敢えて旅立つ人は何を考えるのか……どうしてそうなったのか……荒涼としたどん詰まりでありながら、どこかから吹き付けるか細い風を感じさせる作品でもあった。

 

《終わり》