がらくたマガジン

小説を書いたり、読んだり、勉強したりするブログです。執筆者紹介  (復)=復路鵜執筆  (K)=春日 姫宮執筆

シンフォニック=レイン(ネタバレあり3)

シンフォニック=レイン DVD初回限定版
今回はフォーニシナリオについてです。例によって全力でネタバレしているので、未プレイの方は読まないで下さいませ。




3.フォーニシナリオがやっぱり一番
先日クロトンさんやFoolisさんと会話して、シンフォニック=レイン熱が再燃したので、再び取り上げることに。
のっけから攻撃的で恐縮ですが、2005-03-22 - はじめてのC お試し版さんはフォーニエンドが最も虚偽に満ちたエンドであると述べているものの、フォーニエンドはやはり、最も幸せなエンディングであると私は考えています。
まぁ、実は愛蔵版が発売された今、この記事を批判するのは反則的なんですけれどね。何故なら2005-03-22 - はじめてのC お試し版さんの主張する

・それはなぜ、「da capo」内に存在するのか
・それはなぜ、「ゲームクリア」と叫ばれないのか
・そこではなぜ、他のエンドと同様、「星空を飛ぶ光」が描かれたのか
・なぜそこだけで、アルが甦った――すなわち「奇跡」が起こったのか

の内、愛蔵版の発売によって既に二つの疑問が解消*1されています。
しかし、このサイトの主張で私が最も否定したい部分、それは

12/15の時点では、アルとしての「トルタの偽装」は、「既にほぼ完璧」であり、その「偽装」の嘘を暴くためには、私たちは過去に遡るしか手はないのです。言い換えれば、「トルタはどんどんアルになって行っている」わけです。

・フォーニエンドで、最後にクリスの側で微笑んでいるアルは、トルタです。
奇跡など、起こっていません。どちらかといえば、呪いです。
アルは死にました。それでもトルタは、アルの振りをし続けるしかない。
フォーニエンドとは、『シンフォニック=レイン』で最も残酷な虚偽に満ちたエンドです。

これが仮に本当だとすれば、あんまりと言えばあんまりな話です。しかし改めてシンフォニック=レインをプレイすると、トルタの偽装は完全に近付くどころか、3年の歳月を経て、ようやく仮面を剥がし始めている、という事実に気がつく事が出来ます。
それはトルタシナリオの1/1、トルタがアルとしてクリスに会いに行く日、の事です。


彼女らしい穏やかな笑い方と共にそう言って、アルは外へと向かって歩き出した。
その後ろを早足で追いかける。
ターレの時も、こうしてトルタに追いついたことを思い出す。
アリエッタは、以前は、僕の後ろをついて歩くような女の子だった。
     (中略)
トルタはきっぱりとした物腰で、いつも僕やアルをひっぱっていってくれる。
そしてアルは、時々はっとするような真実を口にし、知らず知らずの内に僕やトルタを正しい方向に導いてくれるような、そんな存在だった。
そうして住み分けを行っていたけれど、遠く離れ、お互いに一人だけで生きて行かなくてはならなくなり、それにも変化が出始めているって、トルタが言っていたっけ。


クリスは、アリエッタが彼よりも先に歩き出すという些細な違和感を、このように自分で納得させたわけですが、この違和感は当然トルタのミスから感じたものです。
彼女はこの日をアルとして過ごして、クリスからは身を引こうと決意していたわけですから、内心は千々に乱れていたわけです。これくらいのミスはむしろ、あったほうが自然と言えるでしょう。
この日はそれ以外も幾つか、疲れを見せたり、アリエッタらしくない(トルタらしい)言動があったのですが、その最大のものは、料理の最中に卒業演奏の曲を鼻歌で歌ってしまった事でしょう。それを聴き、ついにクリスは彼女をこう呼びます。
「トルタ」
と。
その後の顛末は印象的ですので、この記事を読んでいる方は大抵覚えておられるだろうと思います。アルに変装したトルタは急いで家を出て行ってしまい、クリスに更に深い悲しみを与えます。
しかし、その後に開かれる、アリエッタの手紙については案外読み流している方が多いのではないでしょうか?
ここに全文を引用します。


クリス。この手紙を読んでるってことは、昨日(ナターレ)は私と一緒に過ごしたんだよね。
ということは、クリスは今は幸せな気分かな?
きっと私も、幸せな気分になっていると思うよ。
素敵なナターレを過ごせたことを信じて。
今日はここまでにしておきます。
話したいことも、想い出も、全て記憶の中にあるはずだから。
では次の手紙で。
アリエッタ。


異様に短いという印象があると思います。それはクリスに会うから、という理由が書かれていますが、実はトルタはクリスとの別れがあまりにも辛くて、これだけ書くのが精一杯だった、というのが本当のところではないでしょうか?
もう一つの違和感があります。
ターレ
ターレをクリスは、トルタと一緒に過ごしたはずです。
『アリエッタ』と過ごした昨日というのは、正月のことです。
西川さんまたやっちゃった?*2
と多くの方は思うかも知れません(私も最初はそう思いました)。しかし、この手紙では敢えて「昨日は私と一緒に過ごしたんだよね」の昨日をナターレと『アリエッタ』が読み上げています。
ここまで手の込んだ誤字はあるわけないでしょうから(笑)、これは『アリエッタ』の誤字ということになります。
繰り返しになりますが、この辺りの日々はトルタがクリスへの別れを決意していて、それが彼女の嘘に細かいヒビを沢山入れているんですよね。あるいは、3年もの嘘に彼女がもう疲れてしまったせいかも知れません。


と、言うわけで、トルタがアルになってしまう、なんて真似は不可能だというのがお分かりだと思います。たった1日でこれなんですから。
故に、フォーニエンドのアリエッタは正真正銘アリエッタです。はぁー、安心した(笑)。


ところで、フォーニエンドでトルタはどうなったのか、直接は描かれていません。でも、彼女が幸せなんだということを示唆する台詞はあります。


【アル】
「私だって、うまく歌いたいのに……」


私だって、ということは、他に誰か上手に歌える人がいることになります。アルにとってそれは、トルタに他ならないでしょう。そして、トルタがもし不幸だったとして、アルがこの台詞を口に出すことが出来るでしょうか?
きっとトルタは、今もアルの憧れの歌を歌う女性であり続けているのだと思います。

*1:EDに星空を飛ぶのはフォーニになりましたし、トルタがゲームクリアと叫ぶシーンはカットされました。

*2:西川さんは誤字が多い方です。元々が緻密な物語を描かれる方なので、時々伏線なのか誤字なのか分からず本気で悩むことがあったり(汗)