がらくたマガジン

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逆噴射小説大賞2019、ピットイン(復)

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photo by José Pablo Domínguez on Unsplash

 

遅くなりましたが、逆噴射小説大賞に投稿された皆さま、お疲れ様でした! 一次選考・二次選考も完了となりました。私はマガジンを拝見しながら「うわああ、さ、作品が……あああああ……」とかなっていましたが、選考されたダイハードテイルズ局員の皆さま、そして投稿のきっかけを与えてくださった逆噴射総一朗先生に感謝したいと思います。

 

ひとまず全五作それぞれの出だしを投稿できましたので、以下にライナーノーツをまとめました。リンクも貼りますので、よろしければご来訪ください。文末には未来に向かうために我々ができることを書きました。

『オペレイション・メンシュ』

 

 

タイトル邦訳《人類作戦》です。メンシュって男性詞じゃん! 上司何考えてるの!? という突っ込みもありますが、ブラコウスキだけでなく、上層部の意思が働いたのです。

 

作品中で大暴れしている日本製ロボットですが、最初のボツ案では《ヒキャク》という名前でした。嘘だろ、介助ロボットなのに急いで運ぶのかよ……!

 

作戦テントではミヒターの他に特殊部隊員が同席していますし、今後の作戦でも参加していきますが、容量の関係で彼女らは泣く泣く削りました。続きからどんどん出していきたいです。

 

また、「この部分は掘り下げがいがありそうだ」と思ったのは《第一次世界大戦と地続き》というくだりです。作品の時期は現代ですが、あえてマシンに逆行した戦い方は何があるのか……そもそも人間らしい戦いとは……《パペタリー》は何をたくらんでいるのか……など、盛り込めそうな部分も満載です。

 

この作品を書いていてドイツを研究したくなったのか、フェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』とマックス・アンナスの『ベルリンで追われる男』を買ってきました。どちらもドイツが舞台ですし、面白そうです!

 

ノンフィクションではロナルド・レングの『うつ病とサッカー』も買いましたが、これはうつ病選手の闘病記録であり、精神的な打撃も大きいので、後で読もうかと思います……

『ドラゴンリトルシガー1カートン3ミリ』

 

タイトルはピースリトルシガーより頂きました。1カートンってけっこうかさばるけど、持ち運び大丈夫……?

 

「そういえば異世界転生って考えたことないな」と思って書いた本作ですが、よく見たら転生してないし、単にワープしただけでは?

 

しかしタバコには化学的にニコチンが含まれているし、タバコ一本吸うだけで五行ぐらいは行数を稼げるので、広げ方も工夫できそうです。あと、異世界で現代のタバコを売り始めたらすごく流行るんじゃないかな……!(武器商人の思考)

 

またこの作品、タバコとライターで主人公はワープしていますが、これは彼に限らず、道具さえ揃えば別な人でもワープできるのでは? 例えばドラゴンっぽい女の人が吸ったとしても現代地球に移動できるのでは?

 

『トライアリズム・ウォーマシン』

 

邦訳タイトル《三人の女が乗り物で戦う》です。友情、そして嫉妬や憎悪は、道具を与えられるとすさまじく燃え上がる!

 

若干設定が先行しすぎていたかな、というきらいもあります。800字数制限に何度も引っかかったのでかなり削りましたが、それでも戦争エキシビションハンヴィー、あと三人の女を描いたらいっぱいいっぱいでした。でも、800字で三人も出せるのはすごくないですか?(自画自賛

 

どう見ても敵対勢力が殴り込んできたのに、主人公グループでも内紛です。映画みたいな内容なので、どんどん膨らみますよ……!

 

ちなみに澪が選んだのは戦闘機です。ミサイル一発食らったらハンヴィーが吹っ飛びます! たぶんハンヴィーの所属部隊も全滅してます。ピンチ!

『サン・フォア・ザ・サン

 

タイトル邦訳《彼のための太陽》。

 

こちらもロボットが出てきますが、キーワードとなるのは《基盤》です。この世界、基盤が大事なコアで、CPUやハードディスクの上位に位置します。新しいシリーズを宣伝する際、販促としてコアの写真も街頭ディスプレイに載せないといけないほどです。

 

自分の中だと描写するまでもなくセコンドは金髪です(あとで描写します)。黒でも赤でもなく金。ボツ案だと日本人セコンドの予定でしたが、やはりロボットマッチなら出すのは金髪です!

 

ロボットに血液はなく、死の概念もありません。後天的に学ぶことはありますが、その場合も即死や脳死を体系的に学んで、論理的に使う場合が多いです。そんなロボット、自分の基盤を入れ替えるという、さながら心臓移植めいた意識を持った理由は? エルガー博士を襲った悲劇とは? ロボットマッチはどう繰り広げられるのか? ルール通りに戦う奴なんているのか? 奥行きを作るのが楽しみです。

『芸能殺手! アラタメさん』

 

タイトル邦訳《ターゲット殺害しなきゃいけないから化粧するしチャームもするけど、踊るのってめっちゃ恥ずかしいから見たやつは全員生きて返さない》。

 

どの作品も800字に圧縮するのが大変でしたが、この作品が群を抜いて大変だった記憶です。たぶん、設定を入れすぎたんだと思うの……

 

前回の大賞でも『安倍晴明オニと出会う』のような時代小説(えるふが出ます)を出していたので、「そうだ! 純日本人を主人公にしよう! 純なんだから刀とか開祖2000年とかそういう奴にしよう!」と考えました。芸能方面については、現代アイドルよりも歌舞伎の女形をイメージしながら伸ばしていきたいです。

 

作品では描写されていないのですが、ガガGはガガジーと呼びますし、ガガGはサングラスが似合ういかつい巨漢のセクターサード出身で……といろいろ考えていたら完全に字数オーバーでした。主人公の外見も作りたかった……

 

芸能活動でも剣術アイドル……芸能界の光と闇……カワイイ男の子……とかで作り甲斐がありますが、まず主人公の本名を出さないといけませんね!

『牙虎の里』

 

タイトル邦訳《いちおうお前についていくが期待値がゼロになった時点でお前はキルされる》

 

投稿作品は五作まででしたが、完成したのは六作でした。ですのでこちらの作品は泣く泣く外し、どうせなので描写を膨らませながら作りました。

 

以前から平山夢明先生の『無垢の祈り』のように、《人類の常識をことごとく破壊してゆく超越者》という概念に憧れがあったので、今作ではサーベルタイガーとして出てきて頂きました。最初の案では研究員も生存する予定だったのですが、展開の都合上、泣く泣く彼には死んで頂きました……

 

現在、主人公の少年がいる施設は奥多摩にほど近い地下施設です。ベヘモスの故郷としては南米を設定しましたが、そこまでおおよそ三万キロあります。トラベル系としても作っていけますし、主人公の父親は本気で追いかけます。リアル・ネイチャー(本作品はフィクションです)も各地に分散していますので、見どころは多そうです。

 

終わりに・未来へ向かうために

 

投稿作品の五作、プラスして一作品をこれまで再確認しました。現時点で審査を通過したのは三作ですし、思うところもありますが、書く側の人間としては、選考結果が出るまで手をこまねいている以外にできることがあります……そう、書くことです。

 

我々は審査で選ばれた作品の続きはもちろん、特に選ばれなかった作品でも、続きを書いて展開を盛り上げ、キャラを立たせ、クライマックスを作り出し、《完》と銘打ち、お祝いすることができます。

 

途中で「なんか疲れてきたな……」「この作品は人に見せられるほど面白いのか?」とかモヤモヤしてきたら、時間を置いて寝かせることで、新しく作品と向き合えます。最終的に面白くないだろうと判断した場合は、捨ててもいいです。ただ、その作品が自我に訴えてくるほど強い作品だった場合……ある日、ふと思い出してデスクの前に座るかもしれません。

 

もちろん一日は二十四時間で、書く人間にも生活があるので、アウトプットの時間は少ない。だからこそ、手持ちの弾丸を調節したり、休んだり、時にインプットに没頭して逃げながら、丁寧に書き続ける必要があります。

 

それに前回の小説大賞に参加されている場合、我々には前回作品の続きを書く仕事も残っています。

 

読むのは他人でもできますが、書いて完結させられるのは我々しかいません。そして完結した作品を改めてフリースペースに出すか、noteで有料販売するか、印刷して戸棚の奥に仕舞っておくか、思い切って作品賞に投稿してみるか……それも我々に与えられた自由です。

 

いま言えるのは、審査結果を見て喜んだり、ショックを受けることがあるかもしれませんが、あまり腐ることなく書いていきましょう、ということです。

 

もちろん、結果を見て一喜一憂することは人間として当たり前です。嬉しいものはそのまま受け取っていいですし、メランコリーになってもマガジンの他作品をチェックしていると、掘り出し物が見つかるかもしれない。感性に響く作家もいるかもしれません。あるいは、「こいつらに負けない」と奮起して書くこともできます。

 

しかし、何日もガッカリしたままモチベーションを下げているのはもったいないです。やけ酒をあおって映画を観ながら怒ったり、つらさのあまり本やゲーム機を捨てることも長い目で見れば良くないです。その時間を使ってできることはたくさんあるのですから(そんな私ですが、前回の二次選考発表時にはいくつか選ばれなかったので腐りましたし、大賞発表時にも選ばれなかったので、腐って数日ダラダラしてました)。

 

我々は審査される側においては特にできることはなく、たぶん2020年の1月までやれることはありません。しかし、それのみにフォーカスするのではなく、別のエリアを見るようにする――例えば書くとか学ぶ――と、どんどん選択肢は広がるのです。選ばれた人もそうですし、選ばれなかった人も、逆噴射先生が仰るように、何も失っていません。おそらく我々ができることは、自分自身が思っているより、遥かに多くあるはずです。ですから選考に通過した人は嬉しいテンションを維持したまま書いて欲しいし、通過しなかった人は別な面白さの芽を探して、気分を切り替えながら書いていって欲しいと強く思います。

 

《終わり》